第一部 オーガニック
一 単価
口座の残高は月曜の朝に見ると決めている。毎日見ると減っていくところしか目に入らないからで、週に一度なら減り方を冷静に眺められる。今週は八十三万四千二百円だった。家賃が七万二千円で、どれだけ絞っても月に十三万は出ていくから、割り算をすると俺はあと六ヶ月と十二日で終わる。四十二歳の男の残り時間としてこの数字がどうなのかについては、考えない訓練を二年かけて積んだ。
フリーランスのアプリ開発者という肩書きは、まだ名刺に刷ってある。最後にその名刺を渡したのは一昨年の秋だから、正確には元アプリ開発者と刷り直すべきなんだが、刷り直す四千円がもったいない。
仕事が消えていった経緯を、俺は単価で覚えている。
二〇二四年、人月百二十万。これが最後のまともな時代で、俺は三つの会社と並行で契約して、断る案件のほうが多かった。二〇二六年、八十万。まだ食えた。ただ打ち合わせにAIの議事録が同席するようになって、俺の書く見積もりより先方の仕様書のほうが綺麗になった。二〇二七年、四十万。このころ先方の若い担当者に、山田さんにお願いする部分って要するにどこになるんでしたっけ、と聞かれた。嫌味ではなく、本当に分からなくて聞いていた。その顔を俺はたまに思い出す。二〇二八年の春に受けた最後の案件は、AIに作らせた社内システムを人間の目でも検収しておきたいという内容で、税込み八万円だった。俺は三日かけて丁寧にやって、バグを二件見つけた。二件ともたいしたバグじゃなかった。そのことがいちばんこたえた。
それから二年、仕事のメールは来ていない。
朝飯のあとに案件サイトを三つ見て回るのが日課になっている。日課というのは言い過ぎで、儀式に近い。開発の案件はいまでも載っている。ただし文面が変わった。要件を整理してAIに的確に指示できる方。出てきたものの良し悪しを判断できる方。深夜の障害時に人間として対応できる方。読んでいるとプログラマーの募集というよりAIの世話係の募集で、実際そう呼ぶ人もいる。世話係の相場は月十五万から二十万。二〇二四年の俺の八分の一だ。それでも応募欄には経験者多数のためご縁がない場合もございますと書いてある。世話係にも椅子取りゲームがあって、俺はその椅子にも座れていない。この二年で三十一回応募して、面談まで進んだのは一度だけだった。
その一度の面談は、画面越しだった。相手は感じのいい男の声で、俺の経歴を的確に褒めて、的確な質問を三つした。二十分ほど話して手応えらしきものを感じ始めたころ、音声が一瞬途切れて、相手が同じ調子のまま言った。ここまでの応対は自動応答です。続きまして、適性の確認に移ります。俺は面接をされていたのではなく、ふるいの一段目を通されていただけだった。人間の面接官には結局会えないまま、三日後にお祈りのメールが来た。文面は丁寧で、どこにも間違いがなかった。間違いのなさが、いちばん人間を感じさせなかった。
昼にコンビニへ行くと、有人レジに列ができていた。
この街のコンビニは三年前にぜんぶ無人になって、去年から一部の店が有人レジを一台だけ復活させた。無人レジより時間がかかるのに、年寄りと、なぜか若いのも並ぶ。店員に袋詰めをやってもらいながら今日は暑いですねと言うためだけに、五分並ぶ。俺は無人レジで払いながら、その列を眺めていた。あのレジ台の上に乗っているものに、値札はつかない。
同業で連絡を取り合う相手は、もう三好さんしか残っていない。
十六年前に常駐先で一緒だった人で、俺より八つ上だから五十になる。あの世代には珍しくフリーランスで、俺に独立を勧めたのもこの人だった。去年の暮れに久しぶりに飯を食ったとき、三好さんは妙に羽振りがよかった。仕事あるんですかと聞いたら、まあニッチなやつがね、と笑って話を変えた。プログラマーが二年で絶滅した時代にニッチも何もないだろうと思ったが、奢ってもらった手前それ以上は聞かなかった。
たまに魔が差して、ストアで自分のアプリを検索する。
俺は NYStudio という一人きりの屋号で、独立してから十四年、二十六本のアプリを出した。いま検索して出てくるのは七本で、残りはOSの更新についていけずに消えた。生き残っている七本のうち一番順位の高いものでも、検索結果の三十番目あたりにやっと出てくる。上に並ぶのは同じ機能のアプリが二十九本。アイコンの色違いみたいなやつが多くて、説明文の日本語はどれも綺麗で、レビュー欄には使いやすいですという星五つが等間隔に並んでいる。開発元は一本ずつ違う社名で、どれも聞いたことがない。ぜんぶAIが作って、説明文もレビューへの返信もAIがやっている。人間がやったのはたぶん社名を決めるところだけで、いや、そこもやっていないかもしれない。
三十番目の俺のアプリには先月、星一つがついた。更新が止まっているようなので不安ですという内容だった。更新は止まっていない。直すところがないだけだ。そう返信しかけて、夜中に星一つと言い合いをする四十二歳の姿が客観的に見えてしまって、下書きを消した。
夜、メールが一通来た。RunLogのユーザーからの不具合報告だった。
RunLogは俺が二十八歳のときに作ったランニングの記録アプリで、走った日付と距離を手で入力すると月ごとの合計が出る。それだけのアプリだ。GPSはつけなかった。自動で記録するアプリは当時から山ほどあって、後発の個人がそこで勝負しても仕方がないから、手で書きたい人だけに向けて作った。買い切り二百五十円。一番売れた年で四千本、いまの年間の売上は二万円ちょうど。いまでも年に八十人くらいは買ってくれるが、大体ひと月で消える。残って使い続けている人の数は残高と同じで月曜に数えることにしていて、先週の時点で三十九人いた。三十九人ともおそらく俺より年上で、十年前から使い続けてくれている人たちだ。
不具合の内容は、月をまたいだ日付で入力すると先月の合計に入ってしまうことがあるというもので、再現の手順が箇条書きで丁寧に書いてあった。夜中の一時にそれを読んで、原因の見当が三分でついて、直すのに四十分かかった。ビルドして手元で試してから、ストアに審査を出して、報告をくれた人に返事を書いた。直しました、数日で配信されます、いつもありがとうございます。
金にならない作業を四十分やったことになる。時給に直して計算する気も起きない。ただ、この四十分だけは二年前から何も変わっていない。昼間の儀式は年々みじめさが増していくのに、夜中のこれだけは二十八歳のときと同じ手順で始まって同じように終わる。だから俺はこの作業を保守と呼ばずに、歯磨きと呼んでいる。やらないと気持ちが悪い。それだけのことで、誰に頼まれたわけでもない。
歯磨きを終えて寝ようとしたら、受信箱にもう一通、見慣れないメールが入っていた。
差出人は聞いたことのない社名で、件名は、お仕事のご相談(要件が特殊なため、まずは直接ご説明させてください)。夜中に届く仕事のメールがまともだったためしはないし、要件が特殊という言い回しの案件は、だいたい報酬のほうも特殊に安い。
消そうとして、指が止まった。本文の一行目がプレビューに見えていた。
山田様。不躾なご相談で恐縮ですが、AIを一切使わずにコードを書いていただくことは可能でしょうか。
意味が分からなかった。二年ぶりに来た仕事の話が、俺の商売を殺した当のものを、使うなと言っている。
俺は返事を書かずに画面を閉じて、暗い部屋でしばらく天井を見ていた。八十三万四千二百円と、あと六ヶ月と十二日のことを考えていたと思う。
二 無添加
三日置いてから返事を書いた。すぐ食いつくと足元を見られる、というフリーランスの見栄で、実際には暇どころか消滅しかけているんだから、我ながらしょうもない見栄だった。
先方はすぐに打ち合わせを指定してきた。対面で、しかも先方がこっちに出向くという。フリーランス相手に客が出向いてくる打ち合わせを、俺は十四年やって二回しか経験していない。
駅前の喫茶店に現れたのは岡部と名乗る男で、歳は俺と同じくらい、機械部品のメーカーの法務部にいると言った。法務部の人間と仕事の話をするのも初めてなら、名刺に開発の文字がない相手と打ち合わせをするのも初めてだった。
岡部さんはコーヒーを頼んでから、失礼を承知で伺いますがと前置きして、こう聞いた。
「山田さんは、その、いまでもご自身の手でコードをお書きになれますか」
書けますよ、と俺は答えた。自分の声が少し尖ったのが分かった。書けるに決まってる。書く場所がないだけだ。
「ええ、もちろんそうですよね。失礼しました」岡部さんは本当に申し訳なさそうな顔をした。「最近この質問で怒られることが多くて。書ける方を探すのが、その、想像以上に難しいんです」
それから岡部さんが説明した内容を、俺なりに要約するとこうなる。
岡部さんの会社は来年、外資に事業の一部を売る。その手続きの中で、売り物の中身を先方の弁護士が洗う工程があって、そこで指摘が入った。この事業の核になっているソフトウェアの著作権は、どこにあるのか。
うちにあるに決まってるでしょうと岡部さんの会社は答えた。うちの金で、うちの環境で作らせたものだ。ところが先方の弁護士はこう返してきた。二〇二七年以降の開発分は、記録を見るかぎりほぼ全部AIが書いています。人間が書いたと言える部分がどこか、特定できますか。AIが自動で生成しただけのコードには、著作権がそもそも発生しないという判例が積み上がっています。つまりこの売り物の中身のかなりの部分は、法律の上では誰のものでもない。誰のものでもないものに、この値段は払えない。
「正直に言うと、私も最初は屁理屈だと思ったんです」岡部さんはコーヒーに口をつけずに続けた。「でも調べるほど、屁理屈じゃなかった。写真と同じなんですよ。猿が勝手にシャッターを押した写真には著作権がないというのと同じ理屈で、AIが勝手に書いたコードは保護されない。人間が書いた部分には発生する。混ざっていると、どこからどこまでが保護されるのか誰にも言えなくなる」
それで、と岡部さんは本題に入った。売り物の核になるモジュールがある。全体から見れば小さい、二万行くらいのものだ。これを、人間の手で、最初から書き直してほしい。設計書はある。AIは一切使わないでほしい。使っていないことを第三者が証明できる形で書いてほしい。
「証明、というのは」
「検査の会社が入ります。作業室のカメラとセンサーが全部記録して、監視のAIが常時解析するそうです。視線、姿勢、打鍵、画面。人間の検査員は、そのAIの判定を確認する係だと聞いています」
「AIを使っていないことを、AIが見張るんですか」
「はい」岡部さんは頷いてから、少し間を置いた。「私も最初に聞いたとき、冗談かと思いました」
冗談みたいな話を、俺は黙って聞いていた。
そもそも、なんで私なんですか、とは聞いた。岡部さんは、AIより前の時代から一人でアプリを出し続けている開発者を、ストアの登録の古い順に上から当たりました、と言った。山田さんで九人目です。上の八人には断られました。三人は廃業されていて、二人は連絡がつかず、三人には笑われました。真面目に聞いているのが馬鹿らしくなるほど正直な報告だった。笑った三人の気持ちは、俺にもよく分かる。
条件は登録の古さだけでもないらしかった。AIより前の時代に、一人で書いて一人で出した実績が、公開の形で残っていること。ストアに並んだ二十六本と、俺がとうに更新をやめた技術ブログが、履歴書の代わりに法務部に読まれていた。書いたものが公開で積み上がっている人間は、経歴の詐称ができない。俺の十四年は、俺の知らないところで身元保証になっていた。
岡部さんは言いにくいことを先に全部言ってしまう方針らしかった。口座も見せていただくかもしれません、外注の形跡がないかの確認で、と続けてから最後に金額の話をした。
一式で二百八十万円。工期は六週間。
俺は咄嗟に暗算した。六週間で二百八十万は、月に直せば二〇二四年の俺の単価を超える。人月百二十万だった時代の、あの俺をだ。二年間ゼロだった男の目の前に、全盛期より高い数字が置かれている。しかもその理由は俺の腕が上がったからではなくて、AIを使わないという、たったそれだけのことだった。
「あの、足りませんか」岡部さんが俺の沈黙を読み違えて言った。「相場が本当に分からなくて。なにしろ頼める方が」
「いえ」と俺は言った。「妥当だと思います」
妥当なわけがなかった。二万行を六週間、手で書く。AIに頼めば二万行は三十分で出てくるし、費用は電気代込みで数千円だろう。俺は三十分と数千円の仕事を、六週間と二百八十万でやる。この差額の二百七十九万いくらは何の値段なのかと考えて、帰りの電車で答えが出た。無添加の値段だ。中身は同じでも、何も入っていませんという証明書には金が払われる。醤油でも化粧品でも、そういう棚は昔からスーパーの端にあった。俺はあの棚に並ぶことになった。
家に帰って、久しぶりに三好さんに連絡した。妙な仕事の相談が来たんですが、と書きかけて、指が止まった。去年の暮れの、まあニッチなやつがね、という笑い方を思い出した。
ニッチなやつって、これのことですか。そう送ると、五分で返事が来た。
来たか、とだけ書いてあった。
続けて長文が来た。要約すると、三好さんは一年半前からこの手の仕事だけで食っている。需要は少ないが確実にあって、受けられる人間がほとんどいないから単価が崩れない。ただし検査は覚悟しろ、最初はかなりこたえる、とあった。俺は初日に帰りかけた、とも書いてあった。それから最後に一行。
山田が来てくれるなら心強いよ。この業界、今のところ日本に二十人いない。
二十人いない業界というのは業界と呼べるのかどうか。布団に入って、二百八十万から税金と経費を引いた数字を頭の中で三回計算して、そのあとで二年ぶりに仕様書を読む自分を少しだけ想像した。設計書はある、と岡部さんは言っていた。二万行を六週間、手で書き直すことになる。
指が覚えているかどうかだけが、正直、いちばん不安だった。
翌朝、岡部さんに、お受けしますと返事を書いた。書くのにかかった時間は二分で、そのあと三十分で、検査会社から作業室のご案内という丁寧なメールが届いた。段取りが良すぎる。つまり俺が断る場合の準備を、誰もしていなかったということだ。日本に二十人いない業界に入る方法が二年間の失業だったのだと思うと、笑うところなのか怒るところなのか分からなかったから、どちらもしなかった。
数日後に届いた契約書には、見たことのない条項が並んでいた。乙は本件業務において、生成AIによる支援を直接間接を問わず受けてはならない。音声によるコードの入力の禁止。作業室への第三者の同席の禁止。眼鏡型端末、補聴器型端末、指輪型端末の持ち込みの禁止。補聴器型、のところで一度笑って、それからこの一覧が誰かの実例の集積であることに気づいて笑いをやめた。禁止事項というのは、やった人間がいるから書かれる。俺はこれから、前科者たちの獣道を歩いて職場に通うことになる。
三 検査
検査会社の作業室は、駅から徒歩十二分の雑居ビルの四階にあった。
六畳ほどの部屋に机が一つ、椅子が一つ、カメラが三台。一台は天井から机全体を、一台は真横から俺の手元を、一台は背後から画面を撮る。机の下には姿勢のセンサーが、キーボードの中には圧力計が入っていて、集まった記録は監視のAIが常時解析する。パソコンは支給品で、外のネットには繋がらない。中に入っているのはエディタと、ネットから切り離されたリファレンスが一式だけ。私物のスマホは入口のロッカーに預ける。時計も駄目だと言われた。いまどきの時計は大体しゃべるからだそうだ。
通い始める前の週に、登録の試験があった。この機材に囲まれて小さな課題をふたつ書き、監視のAIの解析が基準を越えて、俺は十七人目の登録者になった。合格の通知には人間らしさの点数のようなものが載っていた。俺の潔白を、俺が二年恨んだ相手が採点する。うまくできた商売だと思う。誰にとっての皮肉なのかは、知らない。
初日の説明に対応してくれたのが白石さんという人で、三十代の半ばくらい、検査という言葉から俺が勝手に想像していた威圧感はまるでなかった。ただ、説明は一切省略しなかった。
「記録は機械が全部取って、AIがその場で解析します。打鍵の癖、視線の動き、迷い方。よそから写している人は揺らぎ方が変わるので、機械はすぐ気づきます。私の仕事はその判定の確認です。機械が疑った箇所を、最後は人間の目で見ます。トイレと食事で席を立つときは、このボタンで中断を申告してください。申告なしの離席が十五分を超えると、その日の作業分は認証の対象外になります」
「刑務所より厳しいですね」
「刑務所は入ったことがないので分かりませんが」白石さんは顔色を変えずに言った。「食品工場の異物検査と大体同じです。うちは元々そっちの会社なので」
毎朝、作業を始める前に一枚の紙にサインをする。本日の作業において、生成AIによる支援を一切受けないことを誓約します。四十二歳にもなって毎朝カンニングをしませんと誓わされるのかと初日は思ったが、白石さんいわく、この紙は俺を疑うためのものではなくて、あとで俺が疑われたときに俺を守るためのものらしい。誓約と録画とログが揃って初めて、この人は使っていませんと会社が保証書を書ける。保証書というのは疑われた後では作れませんから、と白石さんは言った。
初日は、ひどいものだった。
二年ぶりに白いエディタに向かって、最初の一時間で書けたのは二十行だった。標準ライブラリの関数名が出てこない。引数の順番を忘れている。昔は指が勝手に打っていたものを、ネットから切り離されたリファレンスでいちいち確かめる。しかも俺の指は、行き詰まるたびに勝手にあのショートカットを押していた。二〇二五年から俺の相棒だった補完呼び出しのキーだ。支給品のパソコンでは何も起きない。何も起きないキーを一日に何度も押して、そのたびに天井のカメラを見上げそうになった。この録画を解析する誰かは、四十二歳の男が空っぽのキーを叩き続ける様子をどう記録するんだろうかと思った。
三日目の午後に、体が思い出した。
きっかけは覚えていない。気がついたらリファレンスを引く回数が減っていて、設計書を読んでから画面に戻るまでのあいだに、書くべきものが頭の中で先に組み上がるようになっていた。それは久しぶりの感覚というより、こんな感覚が自分にあったことを忘れていた類のものだった。昼を食べ忘れて白石さんに中断の申告漏れを注意されたのが四日目で、注意されて初めて空腹に気づいたのが五日目だった。
二週目には、カメラのある生活に体が馴染み始めた。慣れというのは大したもので、初日にあれだけ意識した天井の黒い半球が、ただの照明器具と同じ扱いになる。中断ボタンにも慣れた。トイレに立つ前に押して、戻ったら押す。押し忘れたのは一度だけで、白石さんに、この二分は対象外にしますと事務的に言われた。二分ぶんのコードが消えるわけではない。証明の対象から外れるだけだ。書いたのに証明されない二分の行のことを、俺はその晩、妙に長く考えた。書いたという事実と、書いたと証明できるという事実は、この商売では別の商品らしかった。
三週目のどこかで、空のショートカットを押す癖が消えた。意識してやめたのではなく、気づいたら押していなかった。二年使った相棒の呼び出し方を指が忘れていくのは、寂しさより先に静けさとして来た。行き詰まると俺の指はキーの上で止まって、それから画面の上のほうへ戻って、自分の書いた行を読み直すようになった。誰かに聞く前に自分に聞く。二〇二五年より前の俺は、そういえばそうやって書いていた。
休憩室で一度、この仕事は退屈じゃないですかと白石さんに聞いたことがある。一日じゅう機械の判定を確認する仕事だ。白石さんは麦茶を飲みながら少し考えて、食品の異物検査より面白いです、と言った。異物は出たら終わりですけど、人の打鍵のグラフは毎日違うので。それに、と白石さんは言いかけて、これは業務と関係ないですねと言ってやめた。言いかけてやめるのはこの人の癖で、癖だと分かるくらいには、俺たちは同じ部屋に長くいた。
昼飯の時間に一度だけ、検査で駄目になる人はいるんですかとも聞いた。白石さんは少し考えてから、いますよ、と言った。一昨年、眼鏡型の端末を持ち込もうとした方が一人。あれはまあ、論外です。それより多いのは、と言いかけて、白石さんは途中でやめた。守秘義務でした、すみません。やめ方が気になったが、それ以上は聞けなかった。
念のために書いておくと、俺はAIより速く書けるわけでも上手く書けるわけでもない。俺が六週間かける二万行を、AIは三十分で書く。しかもたぶん俺のより行儀がいい。それは分かっている。分かった上で、朝の九時に誓約書にサインして夜の六時まで書く生活は、思っていたより悪くなかった。二年間、俺の一日には形がなかった。案件サイトを見る儀式と夜中の歯磨きのあいだに、何もない十四時間が挟まっていた。いまは九時から六時まで、俺のキー入力を三台のカメラが記録している。誰かが俺の仕事を見ている。それが監視だとしてもだ。
四週目のある日、終業のチェックのときに白石さんが言った。
「山田さんの打鍵、波がありますね」
「波」
「解析の日報を毎日確認するので、なんとなく分かるんです。調子のいい日は夕方に山が来る。悪い日は午前中ずっと平らで、お昼のあとに急に立ち上がる。今日は朝から山でした」
「それ、検査に関係あるんですか」
「ないです」白石さんは初めて少しだけ笑った。「ないので、記録には書きません」
六週目の金曜に、書き終わった。
二万行と少し。テストも全部手で書いたから、正確には三万一千行になった。岡部さんの会社の検収には十日かかって、バグが四件出た。四件とも俺のミスで、四件とも直した。AIならたぶんゼロだったなと思いながら直した。岡部さんは、四件で済むんですねと逆に感心していた。人間の書いたものが四件で済むという感心のされ方は新しかった。
納品の書類と一緒に、検査会社から認証書が発行された。
厚手の紙に株式会社どこそこ殿と宛名があって、対象成果物と作業期間の欄が続く。その下に、本成果物が生成AIの支援を受けずに人間の手によって作成されたことを当社は録画記録および入力記録に基づき証明します、とあった。左下に通し番号が入っていて、俺のは〇〇〇二四七だった。この検査会社が始まってから二百四十七件目ということだ。日本中でだ。
賞状みたいですねと言ったら、額に入れて飾る会社さんが実際にあります、と白石さんは言った。冗談かと思ったら本当らしく、買収先に見せる会議室に飾るのだという。二万行のコードは誰も読まないが、この一枚の紙は皆が読む。売り物はどっちなんだろうな、と帰りの電車で思った。
月末に二百八十万円が振り込まれた。俺は月曜でもないのに残高を見た。見てから、生活費の計算をせずに画面を閉じた。あと何ヶ月と十日、という数え方を、しなくて済む夜は二年ぶりだった。
三好さんに、終わりました、と送った。返事はすぐ来た。
言っただろ。それでな、山田。この話には続きがあるんだ。近いうちに飯を食おう。
四 ラベル
三好さんとは駅前の焼き鳥屋で会った。去年の暮れに俺が奢られた店で、今度は俺が払うつもりだったのに、また払わせてもらえなかった。
「言っただろ、続きがあるって」三好さんはレバーを頼んでから言った。「岡部さんとこみたいな著作権の話は、この商売の半分でしかない。もう半分はな、山田。広告なんだよ」
「広告」
「化粧品の会社がな、自社のアプリに書きたいんだと。このアプリの中核部分は人間の手で書かれていますって。それだけのために発注が来る。動くものはもうあるんだぞ。AIが書いた完璧に動くやつが。それを人間に書き直させて、遅くなって、たまにバグって、それに金を払って、箱に人間製って書く」
「意味が分からない」
「無添加って書いてある醤油と同じだよ。添加物が入ってると何がどう悪いのか、説明できて買ってる客はいない。書いてあると安心なんだ。俺たちはあれだ、山田。醤油の裏の表示なんだよ」
三好さんによると、検査の会社はいま国内に三つあって、認証を受けられる書き手は登録ベースで十七人。相場は俺がもらった二百八十万が大体の基準で、急ぎだと倍になる。仕事の口は法務がらみが半分、広告がらみが半分。それとな、と言いかけて三好さんは自分で笑った。最近増えてるのが、内容はどうでもいいから人間が書いたという事実だけくれっていう、もっと訳の分からない客だ。金持ちの道楽だな。あれは受けるかどうか、俺もまだ決めてない。
「ひとつだけ約束しろ」帰り際に三好さんは言った。「検査の入らない仕事は受けるな。人間製ですって口で言うだけの仕事は、いくら積まれても受けるな。この商売は証明書が全部だ。疑われたら終わる。腕がどうこうじゃなく、疑われたら、終わる」
ずいぶん大げさな言い方をする、と俺は思った。思っただけで、頷いておいた。
岡部さんの件を入れて、秋までに三つの案件をやった。二件目は保険会社の契約計算の部分で、三件目が例の化粧品会社だった。どの案件でも俺は雑居ビルの四階に通って、毎朝サインして、白石さんに打鍵の波を観察された。三件目の途中で気づいたんだが、俺はあの部屋に通勤するのが好きになっていた。二年間なかった、行く場所というやつだ。
保険会社の案件では、検収の会で先方の若い担当者に、山田さんのコードは変数の名前が長いですねと言われた。AIはもっと短い名前をつけるらしい。読む人間がいないなら名前は短くていい。じゃあなんで人間に書かせるんですかと聞いたら、その担当者は少し考えて、うちが売ってる保険と同じだと思います、と言った。事故が起きてから慌てないための備えで、何も起きなければ掛け捨てです。うまいことを言われたと思ったが、検収の場だったので、なるほどとだけ返した。俺は保険だった。掛け捨ての。
化粧品会社のアプリは冬にリリースされて、ストアの説明文の一番下に小さいマークがついた。中核機能は認証済みの人間の手によって開発されています、通し番号〇〇〇二六八。俺の名前はどこにもない。契約で出さないことになっているし、出したいとも思わなかった。ただ、リリースの日にストアのページを三回見に行った。三回目に見たとき、レビューが一件ついていた。星四つだった。動作が少しもっさりしていますが、なんとなく温かみがある気がします、とあった。
もっさりしているのは俺のせいで、温かみは気のせいだ。俺はその晩、少しだけ機嫌が良かった。
年が明けてすぐ、経済系のネットメディアから取材の申し込みが来た。
AI不使用のソフトウェア開発という市場について書きたいという内容で、検査会社経由で話が来た。三好さんに相談したら、取材は全部断ってると言われた。理由を聞いたら、載るのは俺たちの話じゃなくて見出しだからだ、という返事だった。俺はこの意味を深く考えず、市場が知られれば仕事も増えるだろうくらいの計算で受けた。
ライターは感じのいい女性で、二時間くらい丁寧に話を聞いてくれた。単価の話と検査の部屋の話をして、著作権の理屈も醤油の裏の表示の話もした。彼女は何度も、面白いですねえ、と言った。悪意はまったくなかったと思う。いまでもそう思っている。
一つだけ、答えに詰まった質問があった。山田さんは、AIを恨んでいますか。録音アプリの赤い点が回るのを見ながら、俺は考えた。恨んでいるなら話は簡単だ。仇の道具を使わない職人、で記事の筋が通る。だが本当のところ、俺は二〇二五年からの二年間、あれと組んで書くのが楽しかった。楽しかった時期が本当にあったからこそ、いまの商売の据わりの悪さがある。そういうことを三十秒くらい黙って整理してから「恨んでは、いないです」と答えた。記事にその三十秒は載らなかった。載ったのは「恨んではいないと語る」の一行だけで、三十秒と一行のあいだで消えたものが何なのかを、俺は掲載日の夜にずっと考えていた。
記事のタイトルは、こうだった。
月収三百万円の写経。AIを使えないおじさんたちの最後の楽園。
使えないじゃなくて使わない、なんだが、その違いは見出しに入らなかった。記事の中身はわりと正確だったのに、読まれたのはタイトルと、カメラ三台の部屋でスマホを取り上げられて書くという一段落だけだった。
投稿の伸び方を、俺はその夜ずっと見ていた。見なきゃいいのに見ていた。令和の写経は笑う。絶滅危惧種じゃん。座敷牢で草。逆に贅沢な老後で羨ましい。何人かは真面目に怒っていて、こんなものに金を出す企業が日本の生産性を下げている、とあった。それとは別の何人かが、これは伝統工芸だから残すべきだと言って、その二つの集団が俺を挟んで喧嘩を始めた。俺の知らないところで俺の商売が無駄か文化かに二分されて、その両側が殴り合っている。どっちでもねえよ、飯の種だよと画面に向かって言ったが、画面の中の誰にも届かなかった。
一番伸びていた投稿は、批判でも擁護でもなかった。
見てみたいんだよな、これ。実際に書いてるとこ。動物園とかで。
冗談で書かれた一行に、俺は少しだけ長く目を止めた。腹は立たなかった。立たないんだな、と自分で少し意外だった。
寝る前にメールを確認したら、RunLogに不具合報告が一通来ていた。距離の入力欄で小数点が二回打ててしまうという内容だった。数万人が俺の商売を無駄か文化かに分けて殴り合っている夜に、三十九人のうちの一人は小数点の数を数えていた。俺は殴り合いのタブを閉じて、そっちの返事を先に書いた。
三日後、知らないアカウントからメッセージが来た。矢口と名乗っていて、プロフィールには広告とイベントの仕事をしてきましたとある。文面は営業にしては短かった。
はじめまして。記事を拝見しました。単刀直入に申し上げます。山田さんはいま、ご自分の値段の半分も取れていません。コードを書く仕事の話ではありません。三十分だけ、お時間をいただけませんか。
コードを書く仕事の話ではありません、という一文を、俺は何度か読み返した。コードを書く以外の仕事が俺にあるとしたら、それは何なんだ。
答えを知りたくて、というより答えの嫌な予感が当たっているかを確かめたくて、俺は返事を書いた。
第二部 ショーケース
五 出演料
矢口は約束の十分前に来て、注文を三十秒で決めて、名刺を二枚置いた。一枚は広告代理店時代の古いやつで、もう一枚は肩書きが企画とだけ書いてある新しいやつだった。古いほうを見せる意味を後で聞いたら、信用は前職で買うものなんですよと言っていた。こういうことを恥ずかしげもなく言える人間だというのが、矢口の第一印象で、その印象はいまも大きくは変わっていない。
「山田さん、あの記事のあと、仕事の問い合わせ増えました?」
「多少は」
「でしょうね。で、増えた分って、コードを書く仕事ですよね。単価いくらですか。あ、言わなくていいです、相場は調べたんで。一件三百前後でしょう。あのですね、山田さん」矢口はそこで身を乗り出した。「山田さんの商品、コードじゃないんですよ」
「コード以外に何があるんですか」
「山田さんです。手で書いてる山田さんそのものです。あの記事で一番伸びた反応、何だったか知ってます? 批判でも擁護でもないんです。見てみたい、なんですよ。見てみたいって言ってる人間が四万人いて、その四万人に見せる商売を誰もやってない。コードは納品したら終わりですけど、見せるのは何回でも売れるんです」
俺は運ばれてきたコーヒーを飲みながら、この男の話をどこで断ろうかと考えていた。考えていたのに、矢口が出してきた最初の話は、断り文句を用意していた俺の想定と少しずれていた。
会員制の食事会というものがあるらしい。経営者が十人ちょっと集まって飯を食う会で、毎回ちょっとした趣向を入れる。生け花の実演だったり、鮨職人を呼んだり。その主催者が例の記事を読んで、ぜひ山田さんに来てほしいと言っている。会の後ろのほうに机を置くので、そこで二時間、コードを書いていてほしい。それだけだ。
「それだけって、何を書くんですか」
「何でもいいそうです」
「書いたものはどうなるんですか」
「どうもなりません」矢口はあっさり言った。「誰も使いません。そこはもう、割り切ってください。生け花だって会が終わったら枯れるんですから」
出演料は一晩で四十万だと矢口は言った。俺は暗算した。二百八十万を六週間で割ると一日九万ちょっとで、四十万はその四倍を超える。書いたものが使われる仕事の四倍の値段が、書いたものが捨てられる仕事につく。電卓の中で何かが壊れている気がしたが、壊れているのは電卓ではないのだった。
断らなかった理由を、金だと言えたらまだ格好がつく。半分は金だった。もう半分は、たぶんあの二年間だ。誰からも何も頼まれない十四時間を二年分溜め込んだ人間は、頼まれるという出来事そのものに弱くなる。俺は一週間考えますと言って、三日で受けた。
会場はホテルの上のほうの階の、個室というには広い部屋だった。
窓際に俺の机が用意されていて、支給品ではない、俺の私物のノートパソコンが置いてある。検査はない。今夜の俺は認証済みの成果物を作るわけではなくて、ただの余興だから、証明する相手がいない。毎朝サインしていたあの紙が、ないならないで妙に心細いことに、俺は机についてから気づいた。
開演の前に、控え室で矢口の仕事を初めて見た。会場の下見を三十分でやって、机の位置を二度直させて、照明の人と何かを詰めた。主催者への挨拶では俺の経歴を俺より三割立派に、しかし嘘はひとつも混ぜずに紹介した。この男の営業は誇張ではなく選別でできている。都合のいい本当だけを、いい順番で並べる。手品に似ているが、種も仕掛けも全部本物だから性質が悪い。それはさておき段取りは完璧で、俺は出されたお茶を飲んで、時間になったら書くだけでよかった。二年間、全部の段取りを一人でやってきた人間には、それだけのことが妙に染みた。
客は十三人だった。数えた。経営者の集まりと聞いていたが、半分は俺より若く見えた。乾杯のあと、主催者がマイクで俺を紹介した。本日は大変貴重な方にお越しいただいております。いまや日本に二十人といない、コードを手でお書きになる山田直哉さんです。拍手が起きて、俺は座ったまま頭を下げた。何に対する拍手なのかは考えないことにした。
書くものは決めてあった。RunLogの積み残しだ。
何年も前からユーザーに頼まれていて、後回しにしていた機能がある。月間の走行距離をグラフにするだけの、地味な機能だ。どうせ誰も使わないコードを書けと言われて、それなら誰かが使うものを書いたほうがましだと思った。この理屈は我ながら筋が通っていないが、あの晩の俺にはこの筋の通らなさが必要だった。
二時間のあいだ、客のほとんどは俺を見なかった。
飯を食って名刺を交換して、ときどき思い出したように俺のほうへスマホを向けた。撮られるたびにキーを打つ手が一瞬止まって、止まった自分に腹が立った。書くことに没頭してしまえば楽になるのは検査の部屋で知っていたのに、この部屋では没頭が来なかった。カメラ三台に慣れた俺が、スマホ十三台に慣れない。機械に見られるのと人間に見られるのは、どうやら別の技術らしかった。
途中で一度、若い男が名刺を持って机に来た。投資の会社の人だった。山田さんみたいな方って、あと何人くらい残ってるんですか、と聞くので、登録ベースで十七人です、と答えたら、その人は真顔で、少ないですねえ、希少性は十分だな、と言った。それから、うちで囲えないかなあ、と冗談とも本気ともつかないことを言って戻っていった。囲う、という動詞を人間に向けて使う人と名刺を交換したのは、あれが初めてだった。
一人だけ、長く見ていた人がいた。
七十くらいの男の人で、グラスを持ったままふらっと机の横に来て、十五分くらい黙って画面を見ていた。それから指で書くんですなあ、本当に、と言った。何の仕事をしてきた人なのかは分からずじまいだった。その人は結局それ以上何も言わず、画面をもう一度だけ見て、ありがとうございましたと頭を下げて戻っていった。ありがとうございました、はこっちの台詞のはずだった。あの十五分だけ、俺の指はよく動いた。
終わってから、控え室で矢口が封筒をくれた。
「大好評でしたよ。主催の方が、来月もぜひって」
「誰も見てなかったですよ」
「見てますって。撮った写真、あの人たち今夜のうちに誰かに送るんです。今日の会、手書きのプログラマーが来てたんだよって。それが今夜の山田さんの仕事です。コードじゃなくて、来てたんだよ、のほうです」
帰りの電車で封筒の厚みを確かめながら、俺はグラフの機能があと二時間で書き上がるところだったことを考えていた。あの続きは家で書けばいい。家で書けば、電車代もかからない。
違う。俺が考えるべきなのはそこじゃなくて、書きかけのあのコードが今夜の主役だったのに誰一人その中身を見なかったという、そのあべこべのほうだ。生け花は枯れるにしても、枯れる前に一度は見られる。俺のコードは書かれているところだけが見られて、書かれたものは見られない。逆じゃないのか。いや、考えてみればずっと逆だった。俺たちの書いたものなんて、動いているあいだも誰にも見られていなかった。見られる商売になったぶん、前より正直になったのかもしれなかった。
一週間後、矢口から連絡が来た。デパートの催事の話だった。人間の手仕事展という企画に、俺が並ぶという。
「並ぶって、何と」
「職人さんたちとです。山田さん、一週間、売り場で書いてもらえますか。ブースはガラス張りだそうです」
ガラス張り、と俺は繰り返した。動物園で見てみたいというひと月前の投稿が頭をよぎって、まさかなと思ってそのままにした。最近こういうことを、そのままにするようになっている。
六 ガラス
催事場は八階の、昔は物産展をやっていたフロアだった。
人間の手仕事展、と入口に大きく書いてある。木工と組子と藍染め、金継ぎに硝子細工、それから俺。設営の日に会場の見取り図をもらって、自分のブースの位置を確認した。奥の角で、三方がガラスになっている。中に机と椅子、それと矢口の発案で、俺の画面をそのまま映す大きなモニタが外向きに立ててある。手元は横のガラス越しに見えて、画面の中身は正面のモニタで見える。ようするに、どこからでも見える。
「水槽ですね」と俺が言ったら、設営の担当者は困った顔で、照明は熱くないやつにしてありますのでと答えた。魚への配慮と同じ種類の配慮だった。
物販の問題は矢口が解決してきた。他の職人は品物を売る。組子のコースターは三千八百円で、藍染めの手ぬぐいは二千五百円で売っている。俺には売る物がない。コードは持って帰れないし、持って帰っても動かす場所が客にない。そこで矢口が考えたのが、一行だけ書いて額に入れるという企画だった。客の名前や記念日を入れた小さなプログラムをその場で書いて、紙に印刷して、賞状みたいな額に入れて三千円。動きません、飾るだけです、と説明書きにちゃんと書いた。
最初は馬鹿にしていた。
初日の朝、開店と同時に来たのは年配の女性だった。ガラスの外から三十分俺の手元を見てから中に入ってきて、私昔、事務でオフコンをやってたんですと言った。彼女はコースターも手ぬぐいも買わずに、一行の額を買った。孫の名前を入れてくれと言うので、孫の名前が画面に一日一回挨拶をするだけのコードを書いて渡した。動かないんですよと念を押したら、彼女は「いいんです、読めますから」と言った。読めますから、という理由で俺のコードに金を払った人は、彼女が初めてだった。
一番よく見るのは子供だった。春休みが始まっていて、平日でも多かった。
ガラスに手をついて、なにしてるのー、と聞く。プログラムを書いてるんだよと答えると、その子はしばらく俺の手元を見て、けんばん見ないで打ってるー、ぜんぶおぼえてるのー、と言った。指が覚えてるんだよと答えたら、ピアノといっしょだ、と言って満足して帰っていった。会話として成立していたのかどうかは分からない。あの一週間で交わした会話の中で、いちばんまともだった気もする。
中学生の集団は違った。
うわ、ほんとに手で書いてるじゃん。化石じゃん。動画撮っとこ。笑いながらガラスの外で撮って、三十秒で飽きて行った。ガラスのこっち側で俺はキーを打ち続けていて、そのあいだ自分の腹の中を探っていたんだが、腹は立っていなかった。動物園の象は中学生に笑われても草を食っている。俺は草を食う側に慣れ始めている。腹が立たないことに薄く怯えて、その怯えも三日目には消えた。慣れというのは怯えの摩耗のことだった。
隣のブースは木工の南さんという人で、歳は六十をいくつか越えている。鉋で木を削って、継ぎ手だけで小箱を組む。昼飯の時間が重なって、バックヤードで何度か一緒になった。
「兄ちゃんとこは、何回聞かれた」南さんがある日言った。「機械のほうが早いのに、なんで手で、っちゅうやつ」
「一日十回くらいですね」
「わしは五十年聞かれとる」南さんは弁当を食いながら笑った。「NCが出たときも聞かれたし、レーザーが出たときも聞かれた。答えは変えとらん。機械で作ってええもんは、機械で作ったらええ。わしが作ったんが欲しい人にだけ、わしは売っとる。それだけの話でな、それだけの話を五十年しとる」
実演は恥ずかしくないですか、と俺は聞いた。ガラスの中で書いていると自分が仕事をしているのか見世物になっているのか分からなくなる、というようなことをもう少し曖昧な言い方で言った。南さんはしばらく黙って弁当を食ってから、答えた。
「デパートの実演は営業や。工房に籠っとるだけでは、いまどき食えん。見せるんも仕事や。そう割り切っとる」それから箸を置いて、少しだけ違うことを言った。「ただな、兄ちゃん。割り切っとるうちに、たまにな、ええ日があるんや。手ェ見とる客の目が、ほんまもんの日が。月に一遍あるかないかやけどな、その日のために出とるとこは、ある」
ほんまもんの目がどういう目なのかは、聞かなかった。聞いてもたぶん、見たら分かるとしか言われなかったと思う。
バックヤードの休憩室は、職人たちの楽屋でもあった。金継ぎの先生は湯呑みを持つ手がいつも金粉で少し光っていて、藍染めの人は爪の根元が藍色だった。手に商売の跡が残る人たちの中で、俺の手には何の跡もない。キーボードは指を染めない。それが少し肩身が狭くて、ある日そう言ったら、藍染めの人に笑われた。あんたのは目ぇに来るんやろ、と言われて、眼鏡の度数の話をしばらくした。会期の終わりには、俺は彼らの茶菓子の輪の中に、道具の違う一人として座っていた。
その日の午後、俺はガラスの向こうの顔を、いつもより一つずつ見た。スマホの目と、冷やかしの目と、通りすがりの目。ほんまもんらしき目は見当たらなかった。月に一遍あるかないかと言っていたから、こんな一週間に当たるわけもない。当たるわけもないのに、探した自分のことは、覚えておくことにした。
一行の額は、一週間で四十一枚売れた。
買っていった人の理由を、俺は暇な時間に思い出しては数えていた。孫がプログラマーだった人が三人。自分が昔プログラマーだった人が八人。若いカップルが一組いて、付き合い始めた日付を入れた。何年か後にこの額の意味を聞かれて困るのは彼らであって俺ではない。
五日目の夕方に来た年配の男の人は、人の名前ではなく、会社の名前を入れてくれと言った。書きながら少し話して、畳んだソフト会社の社長さんだと分かった。九十年代にはプログラマーが四十人いたそうだ。受託が細って、パッケージが売れなくなって、最後は三人で畳んだという。彼は俺の手元を眺めながら、うちも昔は、いいものを作ってたんですよ、と言った。知ってます、と俺は言った。世辞ではなかった。社名を聞いて思い出したのだ。新人のころ、あの会社の帳票のライブラリには世話になった。そう言うと社長さんはしばらく黙って、そうですか、使ってくれてましたか、とだけ言った。出来上がった額を、彼は両手で受け取った。三千円の額をだ。潰れた会社の名前が、明日から誰かの部屋で画面に朝の挨拶をする。動かない額の中でだけ、あの会社はまだ廃業していない。
三千円の額を渡すたびに、相手は俺の目の前で喜んだ。二百八十万の納品では誰の顔も見なかった。検収の結果はメールで来て、バグの件数だけが書いてあった。三千円と二百八十万のどちらが仕事なのかというようなことは考えても仕方がないから考えなかったが、四十一人の顔は、悪くなかった。まあ、悪くなかった、くらいに留めておく。
最終日の夜、矢口から動画のリンクが送られてきた。
誰かが俺の手元をガラス越しに撮った三分の動画が、切り抜きでかなり回っているという。再生数は八十七万になっていた。俺は布団の中でそれを三回見た。画面の中の俺は思っていたより猫背で、思っていたより手が速かった。コメント欄は流れが速かった。化石って言うやつとかっこいいって言うやつに混じって、一番上に固定されたみたいに並んでいたのはこういうやつだった。
なんか分かんないけどずっと見てられる。作業用にループしてる。
ずっと見てられる、を俺はしばらく眺めた。見られる仕事を始めて数ヶ月で、初めて、悪い気のしない見られ方だった。それがなぜなのかを考える前に眠くなって、寝た。
七 深夜
デパートの一週間が終わって、俺の暮らしは二階建てになった。
昼は出演の仕事をする。企業の周年パーティーやトークイベントの壇上で書き、配信番組ではゲストに呼ばれて司会者の後ろで書く。書いている俺の映像に、司会者がいやあ打ってますねえと実況をつける。何を書いているかは、たいてい誰も聞かない。
一度だけ、細かく覚えている現場がある。深夜帯のネット番組で、楽屋は物置みたいな部屋だった。本番前に構成の若い人が来て、ここで山田さんに振るので、何か書きながら、手元が映える感じでお願いします、と言った。映える感じのコードとは何か。本番までの二十分それを考えて、結局いつも通りに書くことにした。いつも通り以外の書き方を、俺は持っていない。
本番の司会者は上手かった。俺の後ろに立って、いま何を書いてるんですかと聞いて、俺が答え始めると画面に寄って、うわ、ほんとに全部手で打ってる、補完も何もないんですねこれ、と驚いてみせた。そこで笑いが起きて、じゃあ次のコーナーです、になった。俺の説明の持ち時間は二十秒だった。手は二時間も映るのにだ。終わってから構成の人が、最高でした、二十秒くらい切り抜けそうです、と言った。二時間書いて、抜けるのは二十秒。歩留まりの悪い鉱山みたいな仕事だが、鉱山と違って、削れて痩せていくのは山ではなく俺のほうだった。
出演料は上がり続けていた。八十七万再生の動画のあとで矢口が値段を作り直して、いまは一本六十万から取っている。認証つきでコードを書く仕事は、ふた月に一件入るかどうかになった。矢口が出演を優先して予定を組むからで、書く仕事も入れてくれと言うと「入れてますよ、ちゃんと」と返ってくる。実際、ふた月に一件は必ず入っている。矢口なりの誠実さがふた月に一件という形をしているだけだ。案件の期間中は朝から夕方まで例の部屋に詰めて、夜に出演をやる。俺の体をふた月単位で切り売りする段取りを、矢口は嫌な顔ひとつせず組む。先月納品した案件の認証書は、通し番号が〇〇〇三二一だった。半年ちょっとで五十件あまり。市場は育っている。俺の出演のほうが、それより速く育っているだけだ。件数で数えるとこのふた月、書く仕事と出演の比は一対九だった。金額で数えるとおよそ一対二になる。どっちの数字で数えるかで、俺の職業の名前が変わる気がした。
三二一番の案件は、社葬の名簿を管理する小さなシステムだった。葬儀会社の会長が、会社の百年史に関わる事業だからAIには書かせたくないと言ったそうで、それが理由になっているのかいないのか、俺には最後まで分からなかった。ただ、検収の席で会長は納品書より先に認証書を手に取って、長いあいだ眺めて「いい賞状だ」と言った。祭壇と賞状の商売を五十年やってきた人の言葉だから、あれはたぶん本物の褒め言葉だった。
夜は、変わっていない。
家に帰って、日付が変わる前後にメールを見る。RunLogのユーザーは四十一人になった。例の記事だか動画だかで思い出した人が二人、まだ売ってたんだこれ、というレビューと一緒に戻ってきた。十年前に離れたユーザーが出戻ってくるのは、店を畳まなかった店主だけが味わえる種類の出来事だ。二百五十円の売上二件を、俺は六十万の出演料より丁寧に記帳した。催事で売れた額と同じ四十一という数字にそこで気づいて、意味はないと知りつつ、少し気に入った。
グラフの機能は、あのディナーショーの晩に書きかけたやつを家で仕上げて、春に配信した。出す前の晩は、少し緊張した。八十七万人の前で書いても緊張しなかった手が、四十一人への配信で緊張する。理屈は通らないが、体はそっちが本番だと知っていた。
配信した週に、長いメールが一通来た。差出人は戸田という人だった。
拝啓から始まる不具合報告を、俺は生まれて初めて読んだ。いや、不具合報告ですらない。感想だった。月間走行距離のグラフ機能、十年待っておりましたが待った甲斐のある実装でした、とあった。そのあとに、グラフの目盛りの取り方について提案が書いてあった。月の距離が極端に少ない月があると目盛りが崩れる、ついては対数ではなく上限を固定する方式をご検討いただけないか、とある。当方の記録で申しますと二〇二七年の三月と四月がゼロに近く、と続いたところで文章は一度切れて、こう書き足してあった。事情があってウォーキングしかできない時期でした。失礼しました、本題と関係のないことを。
メールの本文は等幅フォントで、提案のところには簡単な図まで文字で組んであった。罫線の代わりにハイフンとプラス記号で表を書く流儀を、俺は久しぶりに見た。この書き方をする世代は決まっている。たぶん七十前後で、たぶん大型の計算機を触っていた人だ。俺は目盛りの提案をそのまま採用して次の配信で直し、戸田さんに採用しましたという返事を書いた。二〇二七年の春のことは聞かなかった。ユーザーの事情は、聞かないのが十五年の店の作法だった。
夜中の一時に四十一人のためのグラフの目盛りを直しながら、昼間の八十七万再生のことをたまに考えた。
八十七万人は俺の手を見た。四十一人は俺の作ったものを使っている。どっちが俺を見ているのかというと、たぶん比べ方が間違っている。あの八十七万の中にはずっと見てられると書いた誰かがいて、その誰かの見ていたものと戸田さんが目盛りに感じた不便は、実は同じ場所にある気がした。気がしただけで、その先は言葉にならなかった。夜中の思考はだいたいここで終わる。風呂に入って寝た。
矢口は月に二回、事務所がわりのファミレスで打ち合わせをする。
その月の二回目に、矢口が急に言った。「山田さんって夜、なんかやってますよね。この前の配信でぽろっと言ってたでしょ、昔作ったアプリの面倒をまだ見てるって。あれ、何本くらい残ってるんですか」
「一本だけです」
「それ、コンテンツになりますよ」矢口の目の色が変わるのが分かった。「十五年前のアプリを今も一人で直し続ける男。いいなあ。密着で一本、配信で」
「駄目です」
自分でも意外なくらい、はっきり声が出た。矢口は箸を止めて俺を見た。俺は言い直した。あれは売り物じゃないんです。四十一人しか使ってないアプリで、絵にもならないですし。そう言いながら、絵になるかどうかの問題じゃないことは自分で分かっていた。昼の商売は、俺という人間を切り売りする商売だ。それは受け入れたが、あの夜中の四十分だけは、値札をつけた瞬間に別のものに変わる。歯磨きを実演した時点で、それは歯磨きではなくなる。
矢口はふうんと言って、それ以上押さなかった。この男は押しどころの嗅覚だけで生きてきた人間だから、引くときは一瞬で引く。引いてから、あっさり次の話を出した。
「じゃ、代わりにひとつ。面白い企画が来てるんですよ」
面白い企画という言葉を矢口が使うときは、値段が面白いのか中身が面白いのかのどちらかで、両方だったことは一度もない。俺は値段のほうに賭けながら、聞きましょう、と言った。
八 仕込み
企画の中身はこうだった。
商店街の惣菜屋で、閉店間際に会計のシステムが動かなくなる。店主が困り果てているところにたまたま居合わせた客のおじさんが、ちょっと見せてもらえますかと言ってその場で直してしまう。名乗らずに帰ろうとするおじさんを店主が追いかけて、せめてお名前だけでもと聞く。おじさんは少し笑って「昔ちょっと、こういう仕事をしてたもんで」とだけ言い、商店街の人混みに消えていく。それを近くの席の客が偶然スマホで撮っていた、という体の動画が、後日ネットに上がる。
「偶然撮ってた客っていうのは」
「うちのカメラマンです」
「店主さんは」
「役者さんです。いい人ですよ、商業芝居を長くやってた方で」
「システムが壊れるのは」
「うちが事前に壊しておきます」矢口は涼しい顔で言った。「あ、でも直すのは本物です。山田さんが本当に、その場で直すんです。だからやらせじゃないんですよ。段取りがあるだけです」
やらせじゃない、段取りがあるだけ。俺はこの言葉を、この先もたぶん忘れない。あの業界の人間が自分に貼っている絆創膏の、いちばん流通している銘柄だ。
断った。一度は断った。嘘は嫌だと言ったら、矢口はどこが嘘ですかと真顔で聞き返してきた。壊れたシステムがあって、山田さんが手で直す。そこは全部本当です。本当のことを、見やすく並べ直すだけです。テレビが六十年やってきたことですよ。それでスポンサーがついて、一本で百二十万です。
三日考えた。
一日目の夜に、断る文面を書いた。今回の企画は自分には合わないと思います、まで打って、送らずに寝た。二日目に矢口から連絡が来た。押してくるのかと思ったら違って、来月の認証案件が流れたという業務連絡だった。先方の予算が取れなかったそうです、とあって、最後に一行、例の企画は急ぎません、とだけ添えてあった。押さないことで押すのがこの男の芸で、分かっていても効く。その夜、俺は久しぶりに案件サイトを三つ見て回った。二年前と同じ儀式を、九百万近い通帳を持ったままやった。世話係の相場は月十八万に上がっていた。俺の商売がバズったせいで人間の値段が少し上がったのなら、悪くない話だ。
三日目の朝に、受けますと送った。理由を並べると、金が四割ともう慣れていたのが四割。残りの二割は、直すのは本当なんだからという矢口の理屈に俺自身が半分寄りかかったことだ。その事実は弁解にならない。考えた末に受けたのだから、考えずに受けるより質が悪い。
撮影は梅雨入り前の平日の夕方に、本当の商店街の本当の惣菜屋を借りてやった。
店主役の富田さんという役者は、本物の店主より店主らしい人だった。エプロンの紐の結び方から違う。撮影の前に丁寧に挨拶をされて、「今日はよろしくお願いします、素敵な企画ですね」と言われた。素敵な企画。俺は曖昧に頭を下げた。
システムは矢口のチームが朝のうちに壊してあった。壊し方は聞いていなかったから、直す作業そのものは本当に本当だった。レジ画面の前に立って、ログを見て、原因を探す。設定ファイルが一箇所書き換えてあって、見つけるのに十一分かかった。十一分のあいだ、富田さんは俺の後ろで困り果てた店主の顔をしていて、カメラマンは三つ隣の席で餃子を食いながら撮っていた。
十一分のあいだ、矢口がどこにいたかを俺は覚えている。柱の陰で腕を組んで、黙って立っていた。現場で誰よりも喋る男が、あの十一分だけは一言も口を挟まなかった。あとで聞いたら、営業の電話をしてただけですよと言ったが、電話はずっとポケットの中だった。
直った瞬間、富田さんは「ええっ、直ったんですか」と声を上げた。いい声だった。長く商業芝居をやってきた人の、腹から出るいい声だった。
「すみません、もう一回いいですか」監督役の若いのが言った。「直った瞬間の富田さんの表情、もうワンサイズ大きくほしいです」
もう一回、ということは、もう一回壊すということだ。
矢口のチームの人間がレジの前にしゃがんで、俺が十一分かけて見つけた箇所を三十秒で書き換えて、システムはまた壊れた。俺はもう一度ログを開いて、今度は場所を知っている故障を、知らないふりの手つきで直した。二回目の富田さんの「ええっ、直ったんですか」は一回目より大きかった。三回目はもっと大きかった。俺は同じ故障を三回直した。三回目を直しながら、これは修理じゃなくて演奏なんだなと思った。楽譜のある故障を、俺は三回演奏した。
本当の修理を三回やり直すのは、本当の修理よりずっと疲れた。帰りの車で矢口が「お疲れさまでした、完璧でしたよ」と言った。何が完璧だったのかは聞かなかった。
動画は二週間後に公開されて、十日で三百万回再生された。
公開の日、俺は夕方から画面の前にいた。見ないでおこうと決めて、決めたそばから見ていた。再生数は一時間ごとに桁の手応えが変わって、夜中には俺の元の商売の年収くらいの数字になった。数字が伸びるあいだ、富田さんの「ええっ、直ったんですか」が日本中で何十万回も再生されている。三回目の、いちばん大きいやつが採用されていた。俺はそれを音を消して三度見て、三度とも、自分の手つきのよさに嫌気が差した。
コメント欄は、これまでのどの現場よりあたたかかった。泣いた。こういう人が本当の職人なんだよ。名乗らないところが本物。日本もまだ捨てたもんじゃない。おじさんの手つきが良すぎる。誰か身元知りませんか、この人にうちの会社のシステムも直してほしい。
批判が一件もないことが、こんなにこたえるとは思っていなかった。化石と笑われたときは平気だった。偽物を本物と褒められるのは、本物を偽物と笑われるよりはるかに悪い。
三好さんからメッセージが来たのは、公開の三日後だった。短いメッセージだった。
あれ、仕込みだろ。責めてるんじゃない、俺には分かるというだけだ。ただな山田、俺たちの商売は証明で食ってる。嘘と同じ画面に映るな。気をつけろ。
俺は返信を三回書いて三回消して、結局は気をつけますとだけ送った。既読はすぐついたが、返事は来なかった。
月末に百二十万が振り込まれた。
記帳はした。二百五十円の出戻りを二件、丁寧に記帳した同じ帳面に、百二十万を一行で書いた。書き終わってから、数字の並びをしばらく見た。俺の帳面の中で、金額と誇りが完全に逆順に並んでいた。上から誇れる順に並べ直すなら、二百五十円が一番上に来る。そういう帳面を持っている自覚だけは、まだあった。
その夜、寝る前にメールを確認した。RunLogの受信箱に新しい報告はなかった。戸田さんからも何も来ていなかった。当たり前だ。あの動画の男とデパートの水槽の男が同じ顔をしていることに、まだ誰も気づいていないだけで、材料なら世間にいくらでも転がっている。拾われていないだけだ。拾われていないあいだの安心を、俺は安心と呼んで飲み下した。飲み下せてしまった。
いつもならここから四十分、歯磨きの時間だ。直すところがなくてもコードを開いて目を通して、閉じる。十五年続けた儀式を、俺はその夜、初めて休んだ。
誰に頼まれたわけでもない作業だから、休んでも誰も気づかない。誰も気づかないということが、あの夜はいちばんこたえた。
第三部 無添加の嘘
九 炎上
火は、集計から始まった。
秋のはじめに、ソフトウェアの業界情報をまとめている個人のアカウントが、一枚の表を投稿した。認証つきの手書き案件には検査会社の発行する通し番号がある。あの賞状の左下の数字だ。番号は公開情報から拾えるものが多い。納品先のプレスリリースやストアの表記を丹念に集めると、どの書き手がいつ何件納品したか、おおよその推計ができてしまう。紐付けは又聞きと推測が半分で、間違っている行もあったはずだ。間違っていても、表は表として働いた。考えたこともなかった。数えるのが癖の俺が、自分たちの商売が外から数えられることを考えていなかった。
表の中で、一人だけ数字が浮いていた。
登録されている書き手の直近一年の納品は、平均で五件から六件。俺は七件だった。三好さんは十四件だった。
十四件。俺は表を見た瞬間に暗算した。認証案件は検査込みでどんなに短くても四週間はかかる。年に十四件は、休みなしで回しても計算が合わない。並行で二部屋使うか、それとも。
それとも、の先を、投稿の主は書かなかった。書かなかったことが逆に効いた。表とグラフと実働週数の簡単な計算だけを載せて、判断はご覧の皆様に、という顔をしていた。コメント欄が判断を始めた。三日で三万件の判断が並んだ。
同業の反応は、三好さん経由の伝聞でしか入ってこなかった。この業界には横のつながりがほとんどない。十七人は互いに競合で、顔を合わせる場も名簿もなく、俺が名前と顔を知っている同業は三好さんだけだ。その三好さんによると、何人かはもう店じまいの準備を始めているらしかった。疑われる前に降りる、という判断だ。書き手が疑いだけで降りていく業界は、たぶん業界と呼ばない。
白石さんの会社からは、登録者全員に文書が来た。当社の検査体制に関するお知らせという題で、うちの検査は他社と手順が違いますという説明が三枚続いていた。読み終えて、これは俺たちを守る紙ではなく、会社が自分を守るための紙だと分かった。
三好さんに電話をかけたのは、表が出て二日目の夜だった。
「見たか」と三好さんは先に言った。
「見ました」
「どう思った」
答えるまでに、俺は一秒か二秒、間を空けてしまった。その間を三好さんは聞き逃さなかったと思う。俺は、速すぎるとは思いました、と正直に言った。電話の向こうで三好さんが笑うのが分かった。
「俺は速いんだよ、山田。昔からだ。お前、常駐にいた頃の俺を覚えてないのか」
覚えている。覚えているから困っていた。三好さんは速かった。設計を頭の中で済ませてから一気に書くタイプで、キーを打ち始めたら止まらない人だった。若い俺はあの背中に憧れて独立を決めた。年に十四件はあの人なら出せるかもしれないという気持ちと、いくらなんでも出ないだろうという計算が、俺の中で綺麗に割れた。どちらも引かなかった。
「検査は全部通ってる」三好さんは言った。「録画もログも残ってる。文句があるなら記録を見ろって話だ。それだけの話だ」
それだけの話には、ならなかった。
三好さんが使っていた検査会社は、うちとは別の、あとから参入した安いところだった。翌週にはその会社の検査の中身が掘られ始めた。監視のAIが三年前の型のまま更新されていなかったこと。作業室の下見の予約が、ネットから誰でも取れる仕組みだったこと。ひとつひとつは手抜きと呼ぶほどのものでもなくて、うちの検査だって完璧かと言われれば俺は答えられない。ただ、疑いというのは隙間があれば入る。隙間の数だけ入る。
矢口は、この件では珍しく歯切れが悪かった。
「山田さんは大丈夫です。検査会社が違うんで。ただ、当面、三好さんと一緒に映らないでください。写真も、対談も、飯もです」
「飯もですか」
「飯が一番駄目です。撮られたら終わりです」矢口は言ってから、少しだけ声を落とした。「あの人がクロって言ってるんじゃないですよ。俺には分かんないです、正直。分かんないのが一番困るんです、こういうときは」
分からないのが一番困る。矢口はときどき、本人が思っているより正確なことを言う。
十月の終わりに、三好さんの検査会社が調査結果を発表した。当該案件について規約違反の事実は確認されませんでした、という一枚の文書だった。俺はそれを読んで、これで少しは沈むかと思った。沈まなかった。「確認されませんでした」は「なかった」ではない。コメント欄の全員が、その隙間に住み着いた。証明できないから疑ってるんだよ、と誰かが書いて、四千件の同意がついた。
俺たちの商売は、人間が書いたことを証明して金を取る。その証明を積み上げてきた男が、書いていないことを証明できずに沈んでいく。その穴は最初から商売の土台に空いていて、いままで誰も踏まなかっただけだ。
十一月に、三好さんの新規の案件が二件、続けて流れたと聞いた。発注元はどちらも、疑惑を理由にはしなかったそうだ。社内の予算の都合と、時期の見直しと言ったらしい。誰も三好さんをクロだとは言わない。誰も三好さんに仕事を出さない。この二つは矛盾なく両立して、両立したまま人を一人畳んでいく。
電話の最後に三好さんが言った言葉を、俺はよく思い出していた。
「なあ山田。お前、あの仕込みの動画のとき、俺がなんで分かったと思う」
答えられなかった。三好さんは、しばらく黙ってから言った。
「直してる手つきが良すぎたんだよ。本物の故障ってのはな、直す前にもっと迷うんだ。お前の手は迷ってなかった。答えを知ってる手だった」それから三好さんは、少しだけ笑った。「俺の納品が速いのも、同じに見えるんだろうな。外からは」
電話が切れたあと、俺は自分の右手をしばらく見ていた。答えを知っている手と、ただ速いだけの手を、外から見分ける方法はない。中から見分ける方法も、たぶんない。それが分かっただけの電話だった。分かりたくなかったことが、またひとつ分かった。
十 証明
火事というのは、火元の家だけ焼いて消えたりしない。
三好さんの検査会社が燃えたあと、火は検査という仕組みそのものに移った。週刊誌が人間製ビジネスの闇という特集を組んだ。テレビでは経済評論家が、そもそもカメラと監視のAIで何が証明できるのか専門家に聞いてみましょうという企画をやった。専門家は正直な人だった。その場でAIの出力を写していない、ということは証明できます。それ以上のことは難しいですね。そう言った。「それ以上のこと」の中身を司会者が聞いて、専門家が答えて、その十五秒の切り抜きが週末じゅう流れ続けた。
前の晩に、AIに書かせたものを覚えてくればいいわけです。
例の集計表は、いまでは登録十七人の全員ぶんが揃っていた。俺の直近一年は七件で、ちょうど平均のあたりに座っている。平均のあたりに座っていることが安全を意味しないのは、コメント欄を三分も読めば分かった。平均的な件数に抑えてるのが逆に狡猾、と書いている人がいた。多ければ疑われ、平均なら狡猾で、少なければ商売になっていないだけ。どの数字を出しても有罪になる採点表が出来上がっていて、俺たちは全員そこに載っていた。
うちの検査会社にも監査が入ることになった。大口の客が揃って、第三者の目を入れてくれと言ったそうだ。監査の初日には、雑居ビルの前にテレビのカメラが一台来ていたと、あとで白石さんに聞いた。四階の六畳を撮って何になるのか知らない。カメラ三台の部屋を、カメラが撮りに来る。誰も嘘をついていない場所から順番に、絵だけが撮られていった。
進行中だった案件は中断になって、俺は荷物を取りに雑居ビルの四階へ行った。白石さんが段ボールに機材を詰めていた。カメラが三台、緩衝材にくるまれて並んでいるのを見て、なんだか葬式の道具みたいだと思った。
「一つ、聞いていいですか」と俺は言った。「前に言いかけてやめたでしょう。眼鏡の持ち込みより多い不正があるって」
白石さんは手を止めて少し考えてから、もう言ってもいい気がします、と言った。
「暗記です。前の日に家でAIに書かせて、覚えてくるんです。丸暗記じゃなくていいんですよ。解き方さえ頭に入っていれば、指は勝手に動きますから。作業室の中では本当に自分の指で、本当に迷いながら打つんです。思い出しながら打つから、揺らぎも人間のままです。うちの機械には何も映りません。映るわけがないんです。頭の中は撮れないので」
「それ、防げるんですか」
「防げません」白石さんはあっさり言った。「案件ごとに仕様を検査室で初見にする方式も検討はされてます。でも設計を読む時間も含めて全部を部屋に閉じ込めたら、工期が倍になって商売が成り立たない。だから、防げないままやってきました。私たちが売ってるものは、厳密に言えば証明じゃないんです。安心です。安心は、みんなが安心しているあいだしか、効かないんです」
その商品は、いま日本中で効力を失いつつあった。白石さんは段ボールにガムテープを引きながら言った。山田さんの打鍵は覚えてきた人の打鍵じゃないですよ、私が言ってもいまは何の足しにもならないですけど。実際、何の足しにもならなかったが、あの部屋で聞いた言葉のなかで、いちばん長持ちした。これからどうするんですかと聞いたら、私は元の食品のほうに戻ります、と白石さんは言った。
俺の番が来たのは、監査の発表と同じ週だった。
惣菜屋の動画の店主が商業俳優の富田さんだと、誰かが特定した。富田さんの過去の出演作と、店の壁の時計の映り込みと、撮影に使われた商店街の貸店舗の記録。特定班の仕事は俺の検収より丁寧だった。認証の書き手、やらせ動画に出演。見出しはそう組まれた。例の写経の記事とデパートのガラスの写真と集計表が、全部ひとつの物語に編み直された。手書きビジネスは最初から全部演出だった、という物語だ。
矢口とはファミレスで三時間相談した。矢口は三つの案を出した。黙る、認める、話を作る。話を作るというのは、あれは防犯意識を高めるための再現ドラマでしたと言い張る案だ。俺が黙って見ていたら、矢口は自分でその行に線を引いて消した。すみません、癖で、と言った。癖で出てくる案と、癖では出てこない消し方だった。認めましょう、と矢口は言った。認めて燃えるのと隠れて燃えるのなら、認めたほうが早く終わります。
声明を出した。店主は俳優で、故障は用意されたものでした。直したのは本当です。段取りがあっただけです。書きながら自分でも分かっていた。「段取りがあっただけです」は、あの日の矢口の絆創膏で、絆創膏は他人の傷には効かない。「直したのは本当です」が一番信用できない、と最初のコメントに書かれて、四万件の同意がついた。正しい指摘だと思った。本当のことを、見やすく並べ直した瞬間に、本当かどうかは誰にも確認できなくなる。俺は一年かけてそれを習って、声明文で実演した。
動画という動画が掘り返されて消えていくなかで、一本だけ、消されずに残っている切り抜きがあった。デパートの俺の手元を撮った、あの三分のやつだ。投稿主はつみきという人で、コメント欄が燃えても消さず、言い訳も足さず、ただ置いたままにしていた。固定されたコメントも、あの春と同じ場所に残っていた。なんか分かんないけどずっと見てられる。
来年の予約は四件入っていた。年内に全部消えた。
どの会社も、疑惑を理由にはしなかった。予算の都合と、時期の見直しと、社内体制の変更。三好さんのときに聞いた言い回しと同じだったから、次に何が来るかも分かっていた。何も来ない。それが来た。出演の仕事は案件より先に消えていた。企業イベントというのは、要するに安心を買う場だから、安心の切れた男に出す金はない。
矢口は、逃げなかった。これは書いておく。
「仕込みは俺の企画です。山田さんは俺が口説いた。だからあれは俺の傷です」と矢口は言った。ファミレスのテーブルで、この男が初めて頭を下げるのを俺は見た。「ただ、正直に言います。いま俺が動くと、山田さんはもっと燃えます。半年、何もしないでください。何もしないのが一番の仕事です。金、もちますか」
もつ、と俺は答えた。嘘ではなかった。この二年の稼ぎから税金を引いても、通帳には九百万近く残っている。あと六ヶ月と十二日、と数えていた男の口座に、いまは数える理由のない数字が並んでいる。九百万の桁を眺めて、俺は財布の心配のかわりに、明日から九時に行く場所がないことを考えていた。
家に帰って、夜中に、RunLogのコードを開いた。
不具合の報告は来ていなかった。直すところもなかった。それでも一時間、隅から隅まで目を通した。四十一人のユーザーは俺の炎上を知らないか、知っていても気にしていないか、そもそも俺の名前を知らない。俺が誰であっても、月曜に走った五キロは五キロのままだ。この画面の中でだけ、俺はまだ、疑われていない。
歯磨きを終えても眠れなかったから、そのまま朝まで、誰にも頼まれていないコードを書いた。何のためかは聞かないでほしい。あの晩の俺も、聞かれたら答えられなかった。
十一 停電
年が明けてすぐ、岡部さんから電話が来た。
「山田さん、変な相談がまたひとつあるんですが。今度は著作権じゃないんです。報酬も、たぶんお支払いできる額が知れてます。それでも一応、お耳に入れておきたくて」
岡部さんの会社の下請けに、北関東の小さな工場がある。従業員二十六人、金属の部品を削っている会社だ。そこの製造ラインの制御システムが、元日の未明の停電から起き上がらない。作ったソフト会社は十五年前に畳んでいて、図面も仕様書も残っていない。制御盤は外のネットに繋がっていない。取引先との契約で、中のプログラムを外部に持ち出すこともできない。つまり、AIに見せる方法が、契約の上でも値段の上でも、まともには存在しない。
「人間が現地で読んで直すしかないんです。読める人間を、うちの調達が探して、見つからなくて、それで私のところに話が回ってきました。私は一人だけ知ってたので」
行きます、と俺は言った。金額を聞く前に言っていた。矢口に半年動くなと言われていたが、これは動くうちに入らない、と自分に言い訳をした。誰も撮らない仕事なら、動いたことにもならないだろう。
工場は駅からバスで四十分の、川沿いの町にあった。
社長は七十を越えた人で、息子さんが専務をやっていた。事務所に通されて、お茶を出されて、状況を聞いた。ラインが止まって十日。手作業で凌いでいるが、納期の詰まった注文から順に他社へ流れ始めている。あとふた月止まったら、たぶんうちは終わりです、と専務は言った。脅しの口調ではなくて、在庫の数を読み上げるのと同じ声だった。
制御盤の前に案内された。三十年物の産業用のパソコンに、緑の画面。キーボードは油で文字が消えていた。俺は上着を脱いで、椅子を借りて、中身を読み始めた。
古いコードだった。言語も古いし、書き方も古い。それでも、読み始めて三十分で分かったことがある。これを書いた人は、丁寧な人だった。変数の名前が実直で、危ないところには必ず但し書きがある。コメントには日付と名前が入っていた。平成十七年三月八日、佐藤改修。平成十七年は二〇〇五年だ。二十七年前の佐藤さんが、二十七年後の誰かのために書き残した但し書きを、俺がいま読んでいる。書いた人がいまどこで何をしているのかは知らない。書いたものだけが、電源が入るかぎりここで働き続けて、停電の朝に初めて助けを呼んだ。
三日かかった。
一日目に、飛んでいたのは設定の領域だと見当をつけた。二日目に、バックアップの断片を機械の隅から掘り出した。突き合わせて、欠けた設定を一つずつ手で組み直した。
泊まりは駅前の古いビジネスホテルで、二日目の晩は社長の家で飯をご馳走になった。工場を継いだ経緯と、継がせるかどうか迷っている息子のこと。うちはね山田さん、機械は最新なんですよ、と社長は言った。削るのは機械です。でも、どの順番で削るか、どこで止めるかは、まだ人が決めてる。そこだけです。そこだけですけど、そこが仕事だと思ってやってきました。聞きながら俺は、自分の商売の説明を一度も求められていないことに気づいた。この家の食卓では、手でやる仕事に理由が要らない。理由を聞かれない場所で食う飯は、ずいぶん久しぶりだった。
三日目の昼に、組み直した設定を書き戻して、社長と専務の立ち会いで電源を入れた。
緑の画面に文字が流れて、モーターの起動する低い音が床から伝わってきて、ラインが動いた。
拍手は起きなかった。動いたか、と社長が言った。動きました、と専務が答えた。工員さんたちはそれぞれの持ち場に散っていった。五分後には、部品の削れる高い音が工場じゅうでしていて、誰も俺のほうを見ていなかった。全員が、動いている機械を見ていた。
俺はそれを、少し離れた場所から眺めていた。この二年、俺は見られることで金をもらってきた。ガラスの中で、カメラの前で、十三台のスマホの前で。今日は誰も俺を見ない。俺の書いたものが動いて、動いたものが人の仕事を回して、俺は誰の視界にも入っていない。それがどれだけまともなことか。まともさに気づくのに、俺は見世物を二年やる必要があった。
帰りに、社長が封筒をくれた。
「相場が分からんのだけど、うちにはこれが精一杯で」と社長は言った。中身は三十万だった。ディナーショーの一晩より安い。俺は両手で受け取った。専務が駅まで送ってくれる車の中で、ぽつりと言った。
「ああいうの、直せる人って、もう本当にいないんですね。今回、調達さんが二十七社に断られたそうです。AIの会社にも聞いたらしいんですけど、現地に持ち込む機材の認証がどうとかで、見積もりが八百万になったって」
「八百万」
「はい。山田さんに来てもらえて、うちは運が良かったです」
運が良かった、で回っている場所が、たぶんこの町の外にも山ほどある。帰りの電車で、俺はそのことを考えていた。ネットに繋がっていない機械。図面の残っていないシステム。作った会社が消えて、書いた人も消えて、それでも現場で動き続けているコードがたぶん何十万本もある。あれが止まるたびに、誰かが二十七社に断られている。この仕事は商売になるだろうか。ならない、とすぐに答えが出た。単価は安く、案件は散らばっていて、いつ来るかも分からない。矢口の算盤なら三秒で却下する。俺の算盤でも五秒で却下だ。
却下したのに、あの三日のことばかり思い出していた。
誰にも見られていなかった。録画もなかったし、誓約書もなかったし、認証書も出ない。俺があの三日で書いたものを、俺が人間の手で書いた証明は、この世のどこにも存在しない。存在しないのに、あの仕事だけは、この二年のどの仕事より確かだった。ラインが動いたからだ。証明というのは紙に書くものだとばかり思っていたが、動いている機械ほど強い証明を、俺は他に知らない。
家に着くころに、矢口からメッセージが来た。そろそろ動きませんか、面白い企画がふたつ来てます、とあった。
俺は返事を打ちかけて消して、翌朝に、少し考えさせてくださいとだけ送った。面白い企画、が悪いものだとは、もう思っていない。矢口は矢口の算盤で、俺を食わせようとしてくれている。ただ、あの工場の三日を胸に置いたまま読むと、面白い企画という言葉はずいぶん遠くの国の言葉に見えた。
十二 最後の一手
三好さんから飯に誘われたのは、三月の頭だった。
今度はそっちに行きますと言ったら、来るな来るな、こっちには何もないからと笑われた。結局、三好さんの住む町の駅前で会うことになった。改札を出ると、三好さんは軽トラの前に立っていた。日に焼けて、少し痩せて、思っていたよりずっと顔色が良かった。
「かみさんの実家が酒屋でな。配達を手伝ってる」と三好さんは言った。「配達っていうのは偉いぞ、山田。届けると、その場でありがとうって言われる。納品してありがとうって言われたの、俺は三十年ぶりだ」
焼き鳥屋ではなく、町の中華屋に入った。餃子とビールを頼んで、まず酒屋の商売の話を聞いた。配達先の年寄りの家では、酒より先に頼まれごとが出てくるらしい。電球を替えてくれ、スマホの字を大きくしてくれ、テレビの入力が変わらん。三好さんはそれを全部やる。御用聞きってのはな山田、酒を運ぶ商売じゃないんだ、顔を運ぶ商売なんだ。届くだけなら通販のほうが早いのを、みんな分かってて、それでもうちに頼む家がある。そういう家を回ってるとな、なんというかな。三好さんはそこで少し黙って、ビールを注いで、訪問販売の講釈になるからやめとくわと笑って話を変えた。変えたが、俺は続きを聞いた気がしていた。
それから、業界の話を少しした。検査会社は三つのうち二つが撤退を決めて、残った一つも人間製の認証からは手を引くらしい。登録十七人いた書き手のうち、いまも受けているのは四人か五人だと聞いた。二年かけて開いた市場が、半年で閉じた。俺の商売は、ストアの登録を古い順にたどった一枚のリストで始まって、認証番号を数えた一枚の集計表で終わったことになる。
ビールが二本目になったとき、俺は聞いた。聞かないまま帰るには、この人に世話になりすぎていた。
「三好さん。本当のところ、どうだったんですか」
三好さんは餃子を一つ食って、逆に聞くけどな、と言った。「お前はどう思ってる」
「分かりません」正直に言った。「何度考えても、分かりませんでした」
「それでいいよ」三好さんは怒らなかった。「外から分かる方法はないんだ。だから俺は終わった。それが答えの全部だ。ひとつだけ言っとくと、俺は自分の手を疑ったことは一度もない。ただ、この商売はそれじゃ足りなかった。俺の手を信じるのは俺の仕事で、他人の仕事じゃないからな」
それ以上は聞かなかった。三好さんも言わなかった。テーブルの上の餃子が一皿空く程度の沈黙があって、それは気まずい沈黙ではなかった。
帰り道、駅までの商店街に、ピアノが置いてあった。
改装した銀行の跡地の、屋根のある広場だった。誰でも弾いていいという例のやつで、その時間は買い物袋を提げた中年の男が弾いていた。上手いのか下手なのかは俺には分からない。ただ、通りかかった何人かが足を止めていた。部活帰りの高校生が二人、柱にもたれて聴いていた。犬の散歩の老人が、犬ごと止まっていた。
「録音のほうが上手いのにな」と三好さんが言った。嫌味な言い方ではなくて、ただの事実として言った。それから少し黙って、演奏の切れ目に、付け足した。
「でもまあ、あれはズルのしようがねえな」
弾き終わった男はぱらぱらと拍手をもらって、照れたように会釈して、買い物袋を提げ直して帰っていった。入れ替わりに高校生の一人が鍵盤の前に座った。誰も番号を照合しない。誰も誓約書を書かせない。カメラは一台もない。それでもあの場にいた全員が、いま聴いた音は目の前の男の指から出たという一点だけは、疑いようもなく知っている。
証明というのは紙に書くものだと思っていた。動く機械のほうが強いと、あの工場で知った。もうひとつ強いのがあることを、俺はいま、駅前の広場で知った。
電車の中で、頭の中に店の絵が浮かんだ。
浮かんだというより、勝手に組み上がった。小さい店だ。カウンターが五席くらい。奥に俺の机があって、俺はそこで毎日コードを書いている。客はコーヒーを飲みながら、見たければ見る。見たくなければ見ない。書いているものは本物の仕事でも、金にならない趣味のものでもいい。とにかく俺は毎日そこで書いていて、それを誰でも、目の前で見られる。
録画もログも誓約書も要らない。ガラスも要らない。ガラスの内側に入りたい人間には、椅子がある。
笑ってしまった。隣の席の人が少し引くくらいには、ちゃんと声が出た。
見られながら書くのが、俺はこの二年、いちばん嫌だった。デパートの水槽で、十三台のスマホの前で、俺は自分をすり減らして見られてきた。その、いちばん嫌だったやつを、自分の金で自分の店で自分から毎日やる。それしか残っていないという理屈の帰結が、皮肉でも罰でもなく、なぜか楽しみに近い形をしている。それが自分でもうまく飲み込めなかった。
家に着く前に、矢口に電話をかけた。
「店をやろうと思います」
「店」矢口の声が一段低くなった。この男が金の計算を始めるときの声だ。「飲食ですか」
「コーヒーは出します。でも売り物は違います。俺が毎日そこでコードを書いてる店です。客はそれを見てもいいし、見なくてもいい」
電話の向こうで、長い沈黙があった。算盤の音が聞こえるようだった。矢口はやがて、儲からないですね、と言った。知ってます、と俺は答えた。もう一度沈黙があって、それから矢口は、俺には分かるようになってきた声で言った。
「……面白いじゃないですか」
第四部 ストリートピアノ
十三 開店
物件は、駅から七分の通りにあった。
昔は喫茶店だったという細長い店で、L字のカウンターに椅子が五脚、奥に小上がりの名残の段差がある。俺はその段差の上に机を置いた。カウンターの内側からも外からも、俺の手元が見える位置だ。壁には画面をそのまま映すモニタを一枚掛けた。デパートの水槽と同じ道具立てだが、今度は誰かに立てられたガラスじゃなくて、俺が自分で選んだ壁だ。そう信じることにした。
矢口は、儲からないと言った翌週には物件の内見について来て、家賃を三万下げさせた。手数料を取らないのかと聞いたら、取れるほど売上が立たないでしょう、と真顔で言われた。そのかわり、と矢口は続けた。「軌道に乗ったら、取材とコラボの窓口は俺です。それだけ約束してください」。乗らなかったらどうするんですかと聞いたら、乗らなかったら請求先がないじゃないですか、と笑った。この男の計算は、たまに義理と区別がつかない。
店の名前は、最後まで決まらなかった。
名前の案をいくつも出しては消した。凝った名前は嘘くさいし、ふざけた名前は客を馬鹿にしてるし、真面目な名前は自分で恥ずかしい。結局、開店の前日に矢口が立て看板を作ってきて、それが店名の代わりになった。看板にはこう書いてあった。
コーヒー 三〇〇円。 中で人間がコードを書いています。 見学無料。
見学無料、の一行は俺が付けさせた。矢口は最初、見学五百円にしましょうと言った。タダのものは軽く見られるんですよ、というのが理屈で、商売としてはたぶん矢口が正しい。ただ、駅のピアノに料金箱が付いていたら誰も座らない。そこだけ譲らずにいたら、矢口はじゃあコーヒーで取りましょうと言って、原価を計算して三百円に決めた。
初日、客は来なかった。
二日目も来なかった。三日目に一人入ってきて、道を聞いて出ていった。四日目は雨で、通りごと人がいなかった。五日目に小学生が三人、看板を音読して中を覗いて、逃げた。
客ゼロの週の昼に、飯を買いに出たコンビニで、俺は初めて有人レジの列に並んでみた。開店休業の身に急ぎの用はない。五分並んで、袋詰めをしてもらいながら、桜が終わっちゃいましたねえと言われた。終わっちゃいましたね、と俺は返した。それだけの買い物だった。それだけのことの側に、俺はいま店を出して立っている。
それでも俺は毎朝十時に店を開けて、コーヒーの練習をして、机に向かった。書くものはあった。岡部さんの紹介で、例の工場の同業から似たような相談が一件来ていた。今度は現地に行くほどではない小さな話で、写真と電話でなんとかなった。それが終わればRunLogがあって、RunLogが終われば、誰にも頼まれていない夜のあれの続きがあった。
不思議なもので、誰も来ない店は、家より捗った。
家で書く一人と、開いた店で書く一人は、同じ一人でも姿勢が違う。十時に開けて、十九時に閉める。閉めるときに、今日も誰も来なかったなと思う。思うだけで、悔しさは意外なほど湧かなかった。二年前の、案件サイトを三つ回っていたころの朝と比べたら、誰も来ない店の夕方は上等すぎる部類だった。
六日目の夜に矢口が来て、カウンターで経費の表を広げた。
「家賃と光熱費と豆代で、月十六万。売上ゼロが続くとして、山田さんの通帳だと三年もちます」
「三年で何が起きるんですか」
「知らないですけど」矢口は表を畳んだ。「何か起きるでしょ。山田さんのまわり、この二年ずっと何か起きてるんで。俺はそれで食ってきたんで」
宣伝は打たない、とも矢口は言った。理由を聞いたら「いまの山田さんの名前で呼べる客は、来てほしい客じゃないんで」という答えだった。営業の男が営業をしないと決めるのにどれだけ迷いがあったのかは、畳んだ表の角の揃い方からは読めなかった。
七日目の昼すぎに、扉が開いた。
白石さんだった。私服で、少し迷ったような顔で入ってきて、カウンターの真ん中の席に座って、コーヒーをくださいと言った。矢口さんから聞きました、変な店を始めたって、と白石さんは言った。俺は練習の成果を出した。成果は少し薄かったと思う。白石さんは何も言わずに飲んだ。
「食品のほう、戻ったんですね」と俺は聞いた。
「はい。異物検査に」白石さんはあっさり言った。「異物は、いますよ。確実に。いる分だけ、うちの前の商売より楽です」
それから白石さんは二時間、コーヒー一杯で俺の手元を見ていた。喋らなかった。俺も喋らなかった。キーの音とたまに通りを過ぎる自転車の音だけがしていて、あの雑居ビルの四階と同じ種類の静けさが、いつのまにか店に溜まっていた。
帰り際に、白石さんは言った。
「山田さんの打鍵、久しぶりに見ました。今日は夕方に山が来る日ですね」
「ここ、録画はしてないんですよ」と俺は言った。「ログも取ってない。誓約書もない。それでいいのかって、たまに自分で思うんですけど」
「私が見てました」白石さんは財布から三百円を出しながら言った。「二時間ちょっと。カメラより短いですけど、解析はしなくても分かります。それじゃ足りませんか」
足ります、と俺は言った。白石さんは初めてちゃんと笑って、出ていった。
閉店してから、帳面をつけた。開店から七日目、売上三百円。
俺はその三百円を、いつかの二百五十円が二件並んでいるページの続きに、丁寧に書いた。金額の欄の上に、品目を書く欄がある。コーヒー一杯、と書きかけて、消した。見学一名、と書いた。どっちが商品だったかくらいは、店主が一番よく知っている。
十四 常連
開店からふた月たって、一日の客はゼロから五人のあいだに落ち着いた。
売上は先月で二万八千八百円。矢口の試算どおり赤字だが、面白いことに、店で受ける仕事のほうが黒字になり始めていた。例の工場の専務が同業の集まりで俺の話をしたらしい。直せる人がいるという噂だけが業界の底のほうをゆっくり流れて、月に二件か三件、修理の相談が来る。古い制御盤、届かなくなった帳票、作った会社が消えた在庫のシステム。単価は十万から五十万で、派手さは何もないが、直すと動く。動くと、電話の向こうで人の声が変わる。あの声の変わり方が報酬の半分だと言ったら、矢口には経費で落ちない話はやめてくださいと言われた。
つみきが初めて来たのは、梅雨の晴れ間の平日だった。
大学生くらいの男で、入口で看板を三回読み直してから入ってきた。コーヒーを頼んで三十分黙って俺の手元を見て、帰り際に急に頭を下げた。
「あの、俺、つみきです。切り抜き、作ってた者です」
八十七万再生のあの動画を編集した本人だった。あれで小遣いを稼いで、そのあとの炎上のときは燃やす側の燃料にもされて、それがずっと引っかかっていたという。謝りに来たのか見に来たのか自分でも分からないです、と彼は言った。俺は少し考えて、コーヒーのおかわりを注いだ。謝られる筋があるのかどうか、俺にも分からなかったからだ。あの切り抜きがなければ矢口は来なかったし、矢口が来なければ仕込みもなかったが、この店もなかった。
つみきはそれから週に二回来るようになった。彼は俺の画面を見て、たまに質問をする。その質問が、良かった。
「いまの、さっき書いたやつ消しましたよね。なんでですか」
「三日後の俺が読めないから」
「読めないって、自分が書いたのに」
「三日たてば他人だよ。だから他人でも読めるようにしておく。俺の商売は昔から、未来の他人に手紙を書くようなもんでな」
我ながら年寄りくさい説明だと思ったが、つみきはなるほどと言って、それから長いこと画面を見ていた。見る目が変わるのが、こっちからも分かった。
動画で俺を知っている客も、たまには来た。七月に一人、入ってくるなり「あ、やっぱりやらせの人だ」と嬉しそうに言った男がいた。店の写真を三枚撮って、コーヒーを半分残して三十分で帰った。燃え残りを見に来る人の熱は、それくらいしかもたない。
花屋の店主は、隣の隣の店の人だ。最初は商店会の回覧板を持ってきただけだったのが、なぜかそのままカウンターで四十分、閉店時間が早すぎて仕事帰りの客が花を買えないという悩みを話して帰った。それから週に一度、売れ残りの花を一輪持ってきてくれる。カウンターの隅の細いガラス瓶は、この店で唯一、俺が選んでいない備品だ。花の名前は毎回教わって、毎回忘れる。忘れても次の週には別の花が来る。
戸田さんが初めて来たのは、七月の頭だった。
七十代の、姿勢のいい人だった。散歩の途中に看板を見つけて、中で人間がコードを書いています、を二度読んで入ってきたという。カウンターの端に座ってコーヒーを一口飲み、モニタを見て、それから懐かしそうに言った。
「私らの頃は、カードに穴を開けましてね」
来た、と思った。大型計算機の世代の常套句で、デパートにいた頃なら曖昧に笑って流していた台詞だ。ただ、戸田さんの続きは違った。穴を開ける機械は高くて占有時間が決まっていたから、書く前に紙の上で全部済ませておく必要があった。頭の中で三回動かして、間違いがないと確信してから、初めて穴を開けた。いまのあなたの書き方は、と戸田さんは俺のモニタを顎で指した。
「消しては書いてますね。ぜいたくだ」
「ぜいたくですか」
「ぜいたくですよ。消せるというのは」戸田さんはコーヒーを飲み干した。「でも、消す前に三秒止まるでしょう、あなた。あの三秒は、私らの紙の上と同じことをやってる。だから見ていられる。止まらない手は、見ていてもつまらんのです」
閉店後に、南さんの言っていたことを思い出した。ほんまもんの目は月に一遍あるかないか、と催事のベテランは言った。うちのカウンターには、それらしい目が週に何度か座っている。月に一遍と週に何度かの差が何なのかを、閉店後の椅子を拭きながら考えた。デパートの通路は流れていく。この店の椅子は、座るための道具だ。
質問の質が変わっていることに、はっきり気づいたのは七月の半ばだった。
開店のころ、たまに入ってくる客の質問は決まっていた。なんでAIを使わないんですか。儲かるんですか。どれも正しい質問で、俺は毎回まともに答えて、答えるたびに少し疲れた。
いまの常連は、そういうことを聞かない。聞くのはこうだ。いま変数の名前で三分止まってましたけど、何を迷ってたんですか。さっきのやり方、昨日と違いますね。今日は音楽かけてないんですね、調子悪いんですか。
なんでやるのかを聞く人がいなくなって、どうやってるのかを聞く人が残った。何が違うのかを一言で言うのは難しいが、将棋の中継のコメント欄に似てきた、とつみきは言った。俺は将棋を指さないから分からなかったが、あとで中継を見てみて、少し分かった。あそこにいる人たちの大半は、盤の前に座っても藤井聡太に百回負ける。それでも指し手の意味を知りたがって、一手ごとに騒いでいる。
七月の最後の金曜に、五つの席が初めて全部埋まった。
つみきと戸田さんと白石さん、近所の花屋の店主、それから初めて見る若い女の人。若い人はカウンターの端で、ノートに何かを書きながら座っていた。誰も大きな声では喋らず、俺のキーの音と豆を挽く音と、たまの質問だけがあった。閉店後、帳面に売上千五百円と書いた。その横に、初満席、と書いた。五人で満席。笑うところかもしれないが、書いた本人は笑わなかった。デパートの初日、ガラスの外には百人いた。あの百人より、この五人のほうが、多い。俺の中の数え方が、一年かけてそういうふうに壊れたか、直ったかした。
十五 二百五十円
戸田さんは週に三回、夕方に来る。散歩の帰りだと言っていた。コーヒーを一杯だけ飲んで、四十分ほど俺の手元を見て、たまに大型計算機の時代の話をして帰る。八月に入ってからは、閉店前の涼しい時間にずれた。たいてい端の席には例の若い女の人がいて、ノートに何かを書いている。
その日、戸田さんは帰り支度をしながら、いつものようにスマホを出した。老眼鏡をかけ直して、指を一本立てて、何かをゆっくり入力する。前から気になってはいた。あの年代の人が毎回律儀に画面に向かうのは、家族への連絡か薬の記録か、そのあたりだろうと勝手に思っていた。
その日は、たまたま角度が違った。カウンターの中から、画面が見えた。
白い背景に、素っ気ない入力欄が二つ。日付と、距離。下に、月の合計。
俺が二十八のときに描いた画面だった。
「それ」と言いかけて、声が少し変になった。咳払いをして、言い直した。「それ、何のアプリですか」
「ああ、これですか」戸田さんは画面をこちらに向けた。「歩いた距離をつけてるんです。古いアプリでね、もう十年使ってます。いまどきは何でも勝手に記録してくれるんでしょうが、私はこう、自分で数字を打ちたい性分で」
RunLogだった。俺の店のカウンターで、俺の客が、俺のアプリに今日の散歩を記帳していた。
「誰が作ったかは、ご存じですか」
「さあ。開発元の欄に NYStudio とあるだけでね。会社なのか個人なのか、それも分からない」戸田さんは老眼鏡を外した。「ただ、返事が丁寧なんですよ。不具合を報告すると、直りましたって短い返事が来る。一度、グラフの目盛りについて長々と提案を書き送ったことがありましてね。年寄りの手紙みたいなメールで、我ながら迷惑だったろうと思うんですが、次の版でそのとおりに直ってました。あれは、嬉しかったですなあ」
対数ではなく上限を固定する方式をご検討いただけないか。ハイフンとプラス記号で組まれた表。二〇二七年の三月と四月がゼロに近く。
「戸田さん、ですよね」と俺は言った。「そのメールを受け取ったの、俺です」
戸田さんは老眼鏡を持ったまま、しばらく動かなかった。店で名乗ったことは一度もないはずだった。それから、ご冗談を、と言った。俺は冗談の言い方を知らないので、証拠を出した。ご提案の表、罫線の代わりにハイフンで組んでありましたよね。それと、ですます調の最後に一箇所だけ「失礼しました、本題と関係のないことを」って書き足してあった。
戸田さんは黙って、もう一度老眼鏡をかけて、俺の顔を見た。それから店の中をゆっくり見回して、看板の方角を見て、最後にまた俺を見た。
「……あの返事、あなたでしたか」
「俺でした」店の客の本名を知ったのは、戸田さんが初めてだった。名乗られる前に当ててしまったのは、店の作法としては反則だったと思う。
「どうりで」戸田さんは残っていたコーヒーを飲み干して、静かに言った。「どうりで、この店は、コーヒーはいまひとつなのに落ち着くわけだ」
それから戸田さんは、もう一杯だけ頼んで、普段はしない長話をした。
走り始めたのは四十のときで、会社の同期に誘われたのがきっかけだった。誘った同期はとうに走るのを辞めて、自分だけ残った。一番の記録は五十四歳のときのフルマラソンで、三時間五十一分。この数字だけはすぐに出てきた。何年たっても、そこだけは丸暗記なんですな、と戸田さんは笑った。
二〇二七年の三月に、膝の手術をしたのだそうだ。人工関節を入れて、ふた月はほとんど歩けなかった。医者にはリハビリで歩けとだけ言われて、最初の記録は五百メートルだった。玄関から十五本目の電柱までだ。それを入力したら、月の合計のところに、〇・五と出た。
「笑ってしまいましてね。三十年走ってきた男の月間が、〇・五キロですよ。でも、数字が出るんです。ゼロじゃなくて、〇・五と。翌月は八キロになった。その翌月は二十一キロ。あのころは、そのグラフだけ見て暮らしてたようなもんです。だからあなたがグラフをつけてくれたとき、十年待ちましたと書いたのは、あれは本当なんです」
戸田さんはスマホを操作して、月間のグラフを俺に見せた。十年ぶんの棒が並んでいた。真ん中あたりに、深い谷がある。谷の底の〇・五は、グラフの上ではほとんど見えないが、ゼロではない。その右側で棒は三ヶ月かけて階段みたいに戻っていて、いまは毎月六十キロ前後で揃っている。七十代の脚の、几帳面な六十キロが、ずっと続いている。
「これを見てもらえる日が来るとはなあ」と戸田さんは言った。誰に言うでもない言い方だった。
閉店してから、俺は帳面をつけて、それから夜中の歯磨きをやった。直すところはなかった。ないのは分かっていて、いつもより長くコードを眺めた。
作ったときからずっと、この作業は誰にも見られていないと思っていた。夜中の四十分は俺一人の儀式で、だから見世物の昼から守る価値があるんだと、そう整理していた。違った。俺から見えていなかっただけだ。四十一人の暮らしの中で、俺の書いた入力欄は毎日開かれて、電柱三本目の〇・五キロを受け取って合計を出し続けていた。ガラスの中で書いていたあの頃、俺は観客の数ばかり数えていた。八十七万だの、三百万だの。観客席は最初からここにあった。四十一席で、満席だった。
寝る前に、戸田さんの今日の入力を思い出した。四・二キロ。この店までの往復が、たぶん含まれている。
俺のアプリに、俺の店に来た距離が記帳される。こういうことがあるから、商売はやめられないんだと思う。
十六 席
十月に入って、店は俺の生活の形そのものになった。
朝十時に開けて、豆を挽いて、机に向かう。昼までは修理の仕事をやる。古い制御盤の相談は途切れずに来ていて、月に三件、多い月で五件になった。直した箇所には、日付と名前を残すようになった。二十七年前の佐藤さんに借りた流儀だ。矢口が窓口の約束どおり間に入って、見積もりの言い値を必ず二割上げてくる。上げても切られないんですよ、と矢口は言う。競合がいないんで。競合がいない理由は誇れることなのかどうか、俺には未だに判定がつかないが、判定がつかないまま飯が食えている。
夕方は常連の時間だ。つみきは就職活動が始まったとかで週一回になった。戸田さんは相変わらず週三回で、白石さんは金曜に来る。三好さんは、来ない。かわりに先月、宅配便で日本酒が一升届いた。品書きも手紙もなくて、送り主の欄に三好さんのところの酒屋の屋号だけがあった。矢口が、開店祝いにしては遅すぎますねと言うから、あの人の帳面では今が開店なんでしょうと答えておいた。閉店の危機を三回くらい数えてから祝う。あの人はそういう勘定をする人だ。
一升瓶は、何の記念日でもないただの木曜の閉店後に、白石さんと戸田さんとつみきと四人で開けた。湯呑みで回した。うまい酒かどうか俺には分からなかったが、酒屋の見立てなら間違いはないんだろう。三好さんには「開けました、うまかったです」とだけ送った。それでいい、と返ってきた。
その矢口は月に二度ほど、夕方にふらっと来る。窓口の仕事の話が済んだあとも、たまにそのまま一時間、何も営業せずにカウンターでコーヒーを飲んでいる。何も売らない矢口を最初は不気味に思っていたが、そのうち分かった。この男はここでは客なのだ。会計のとき、矢口はきっちり三百円を出して、領収書はいらないと言う。経費で落ちない三百円を、あの矢口が払っている。それがどういうことかは、考えると照れくさいので考えないことにしている。
例の若い女の人は、初満席の日からずっと、月に何度か来ていた。
いつも一番端の席で、ノートを広げて何かを書きながら、たまに顔を上げて俺の画面を見る。花屋の店主とも戸田さんとも喋らない。コーヒーを二杯飲んで、静かに帰る。名前も知らなかった。客の名前は、向こうが言うまで聞かないのが店の作法だと、これは半年やって自然に決まった。
十月の半ばの夕方、その人が、閉店間際まで残っていた。
最後の客になって、会計のとき少しのあいだ財布を持ったまま立っていて、それから言った。
「あの。私も、書いてみたいんですけど」
俺はコーヒーの器を拭く手を止めた。
「プログラムを、ですか」
「はい。ここで皆さんが見てるのを、ずっと見てて。何ヶ月か見てたら、その、読めるようになってきたんです、少し。画面の字が。そしたら、書きたくなって」彼女は早口になった。「仕事にしたいとかじゃないんです。仕事になるならAIに頼めって話ですし。そうじゃなくて、その、書くこと自体をやってみたくて。教室とかも探したんですけど、いまあるのは全部、AIへの頼み方の教室で」
見てたら読めるようになった、という言い方に、俺は少し驚いていた。見ることと読むことのあいだに階段があって、この人はこの三ヶ月、うちのカウンターでそれを勝手に登っていた。
「教えてもらえたりって、しますか」
「教えるのは、下手なんです」と俺は言った。本当のことだった。俺は人にものを教えたことがない。教わり方も独学だったから、教え方の手本を持っていない。彼女の顔が少し曇って、俺は慌てて続けた。「そうじゃなくて。ちょっと待っててください」
俺は物置から中古のノートパソコンを出してきた。この日のために買ってあったわけでは断じてなくて、ただ安かったから置いてあったやつだ。カウンターの一番端、彼女がいつも座る席の前に置いた。
「ここ、使ってください。開店中はいつでも。教えはしません。でも、書いてるところは俺がずっとそこでやってますから、見るのは自由です。詰まったら、聞くのも自由です。答えるかどうかは、そのときの俺の機嫌です」
彼女は置かれたパソコンと俺の顔を見比べて、いいんですか、と言った。いいもなにも、駅のピアノと同じですと俺は言った。空いてれば誰でも弾いていい。次の人が来たら譲る。それだけの席です。
彼女は次の日から来た。
たどたどしいなんてものではなかった。キーの位置を探す音がして、長い沈黙があって、また一音。俺は自分の机で自分の仕事をしながら、その音を聞いていた。三十分でようやく画面に一行出て、その一行が動かなくて、彼女は詰まった。聞くかな、と思ったら、聞かなかった。自力で三十分粘って、閉店までに直らなくて、悔しそうに帰った。三日後、店に入ってくるなり言った。「動きました。家で、朝の四時に」。朝の四時、と俺は思った。それはもう、こっち側の人間の時間だ。
面白かったのは、常連たちだった。
誰も彼女に教えない。教えないのに、席が近くなる。戸田さんは彼女が詰まっている画面を遠くから眺めて、私らの頃はねえ、とだけ言って続きを言わない。つみきは就活の帰りに寄って、彼女の肩越しに三秒だけ画面を見る。あー、と言って、何も言わずにコーヒーを飲む。あー、だけだ。それでも彼女は、あー、の意味を三日かけて自分で見つけてくる。俺は席を一つ置いただけだ。
月曜の朝、いつもの数え事をした。
口座の残高は、いまも月曜に見る。長年の癖だから直らない。ただ、残りの月数の割り算は、もうしていない。かわりに数える数字が増えた。今週の修理の相談が二件。金曜の客が七人で、椅子が足りずに二人を立たせてしまったから、椅子を買い足す必要がある。それから、RunLogのユーザーが一人増えて、四十二人になっていた。
新しい一人が誰なのかは、分からない。彼女かもしれないし、戸田さんの散歩仲間かもしれないし、まったく知らない誰かかもしれない。分からないままにしておく。月曜の数字は、顔が見えないくらいでちょうどいい。顔は、店で見る。
午後、彼女が来て、端の席のパソコンを開いた。探すようなキーの音が、ぽつ、ぽつ、と始まる。前より少しだけ速くなった音だ。戸田さんがコーヒーを頼む。表で自転車が過ぎる。
俺は自分の机に戻って、続きを書いた。